「一冊の本」2018年1月号巻頭随筆
 
「竹林」……この厄介で魅力的な場所
 

竹林とは不思議な場所である。風水ではその土地の歪みを矯正し、弱点を補うために竹を植えると聞いたこともある。また竹は地味豊かな土にしか生えないとされ、豊かな土壌の象徴でもある。

しかし最近は手が入れられず、放置されたままの竹林も多い。その場合は竹藪と呼ばれるが、およそ竹藪という呼称のほうが一般的に思えるのは、おそらく昔から放置されることが多かったせいだろう。成長が早い竹は一度手を抜くと復旧が容易じゃない。竹取の翁でもいなければあの爽やかな竹林は保てないのである。

そんな場所に、東日本大震災以後、放射性セシウムが降ってきた。お茶の木の場合もそうだが、あの独特の葉が、とりわけセシウムを吸着しやすいのだろうか。その年の五月に生えた筍に大量のセシウムが計測された。二ヶ月で地面から根まで沁みこむことは考えにくく、おそらく葉から吸い込んだのだろう。だとすればあとは繋がった根ですぐさま竹藪全体に浸潤する。毎年毎年、筍と山菜(特にコシアブラ)川魚などが百ベクレルを超え、出荷制限が解かれなかった。

また除染しようとすれば、竹藪ほど面倒な場所はない。その面倒さはすぐに理解され、一平米あたり約五百円という除染報酬に竹藪手当て約四千六百円が加算されるようになった。しかしこれを逆手にとる除染業者も現れ、竹藪でもないのに地面に輪切りの竹を置いた写真を提出し、一千万円以上を詐取したとして告発された。竹藪も竹林も、特に福島県においては非常に厄介な場所になってしまったのである。

一方で竹林は、仏教の歴史のなかで特別な位置を占める。遊行生活を送っていたサンガが一所に留まって布教することを願い、マガタ国のカランダ長者所有の竹園が寄付された。そこにビンビサーラ王が建てた「竹林精舎」こそ仏教史上最初のお寺なのである。

むろん、インドの竹林と日本の竹林ではずいぶん趣が違う。地下茎が横に這わず、株立ちになる熱帯の種類は、パルプ業界でも竹と区別して敢えてバンブーと呼ぶ。しかし震災後の福島県に住んでいる僧侶の私には、ともかく竹林という場所の特異性ばかりが目についた。私自身なぜか竹林が大好きなこともあり、この「特別な場所」を小説の舞台にしようと思ったのは自然なことだったのである。

背景にそうした「竹林」を置きながらも、私が描きたかったのは放射能の問題じたいではない。震災から時間が経つにつれ、誰にも共通の災厄と見えた震災の、個別の影響が見えはじめていた。いや、もとより人には個別の生活があり、同じ出来事の影響も千差万別なのだが、そんな当然なことがようやく見えはじめた頃だったかもしれない。

曖昧な放射線影響に対するスタンスは、恋人の有無や持病の種類、あるいは政治状況や日々の仕事の内容によっても当然違ってくる。ここでは主人公の恋心を中心近くに置き、むしろそれを利する震災や放射能について描きたかったのだが、それは現実に頻繁に見聞きした情景でもある。実際、福島県の震災後の婚姻率は著しく回復し、出生率に至っては震災二年後に全国一のV字回復を遂げている。

「低線量放射線の影響」を巡る見解の相違は、単純化して言えば地元残留派と県外避難派に一つの家族をも分断した。三年経つとすでに両者の間に直接の交流もなくなり、ただ隔てる壁だけがそれぞれの時間の積み重ねで厚くなっていくだけだった。

作中、放射能についての議論が遠慮なくなされるが、それは現実には起こりにくい夢のような事態である。むろん、夢のような事態がけっして起こらないわけではなく、主な登場人物たちが大学で応用生命科学を学び、なにより福島県に移り住む事情があってモノを考えている以上、それは充分現実的である。実際、私の周囲にもこの地に移り住むために学ぼうとする人々が一定数いた。

しかし大切なのはそうして得られる安心も不安も、この物語では主人公の恋の衝動を妨げる力を持たないということだ。彼らにとってそれは共に乗り越えるべき障害であり、また挑むべき人生上の賭けにもなる。つまり結束を促す力なのである。それは、ひとえに若い主人公たちの苦しいほど盛んな生命力のせいかもしれない。

恋の衝動とか盛んな生命力と呼んだエネルギーは、仏教では「五(ご)縕(うん)盛(じよう)苦(く)」と名付けられた。五縕(色・受・想・行・識=あらゆる感覚と行動とそれによって得られる認識)が盛んであることじたいを、仏教は「苦」と見るのである。

簡単に性欲の問題と言ってもいいが、それについての初期仏教の見解は、主人公を悩ませる。この問題は、すでに親鸞聖人がとことん悩み、挙げ句に「破戒」としての「妻帯」の道を歩むことになるのだが、後進の特に他宗の僧侶にとっては、常に未解決の問題として立ちはだかっている。今や日本の僧侶は特例を除き、誰もが当然のように妻帯しているが、この物語の主人公である僧侶には歴史的に未解決な苦悩をあらためて苦悩してほしかった。

全体としてこの物語は、津波で両親を失った主人公が出家し、僧侶になって福島県の小さな寺に入り、放射能に悩みつつも、いやおそらくはそれゆえに、僧侶として成長しながら、恋も叶えていこうとする若者の成長譚である。

しかも物語に不思議な潮力を与えるのは、地下で繋がった竹の地下茎のような「集合的無意識」とも言える。ユングは幾つもの「意味のある偶然」を繋ぐ原理として「集合的無意識」を想定したが、我々僧侶の生活でも「意味のある偶然」と思える出来事には頻繁に出逢う。特に自分のそのときの状況と、出来るお葬式はどうしても密接に関係している気がするのだ。ユングの言うように、それが複数の人々が「集合的無意識」を介して交流しているせいかどうかは、わからない。しかし偶然の一致を意味あるものとして受け容れるとき、それは現実を思わぬほうへ動かす大きな力になる。

もしもそんなことが起こり、あるいは起こったと認識されるとしたら、その場所はやはり竹林こそ相応しい。それが私の勝手なこだわりだった。見えない地下茎で全部が一つに繋がっている竹……。巨大な坐禅石が鎮座する不思議に静謐な竹林……。私のなかで物語の行く末がようやく見えた瞬間だった。

私は四回目の書き直しでようやく脱稿すると、早速表紙写真を写真家の六田知弘(むだともひろ)氏に依頼した。六田さんの写真展に文章を頼まれて書いたご縁で、ずうずうしく原稿まで送ってしまったのである。

六田さんは忙しいなか、原稿を読んだうえであちこち撮影に出かけてくださった。知る限りだが、福島県や静岡県、奈良県にも足を伸ばし、最終的には六田さんの故郷である奈良県御所(ごせ)市の「本間の丘」の竹林写真になった。麓には「神武(じんむ)社」があり、そこが大和朝廷発祥の地だというから驚いたが、私はずっとこの竹林に射し込む光を仰ぎつつ書いていたことにその写真を見て気づいたのである。

十一月に伊豆で開かれた六田さんの写真展にゲストスピーカーを頼まれ、この春私は彼の撮った竹林写真を見た。今思えば、『竹林精舎』はきっとそのときから現状に向けて着実に歩みだしていたのである。


関連リンク
>>竹林精舎書籍紹介ページ
>>六田知弘オフィシャルサイト
>>一冊の本 2018年1月号

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