2017年rensai

「福島民報」 福島民報社10月1日号

日曜論壇 山繭さま
(71)

この夏、女房が伊達市の「霊山こどもの村」で、繭(まゆ)を使ったワークショップを行なった。繭から純白の糸をほぐし、それを自分なりに膨らませた風船にもう1度巻きつけ、乾いたら風船を割る。すると自分だけの形の繭ができあがるという寸法である。

大勢の親子に楽しんでもらえたようだが、その際、女房はお土産にいただいたという山繭を2個持ち帰ってきた。鮮やかな緑色の山繭は、これまでにも見たことはあった。そして、普通の繭と同じように、その中のサナギがいずれ蛾(が)になることも承知してはいた。

しかし現実に羽化した蛾を見たときは驚いた。「え? あれが、これ?」。子供の頃からたまに見かけた巨大な蛾だが、それが山繭から出てくる蛾とは知らなかったのである。

玄関の漆喰(しっくい)壁の間の柱に、それは木と似た色の翅(はね)を拡(ひろ)げてとまっていた。下駄(げた)箱の上に置かれた山繭の先端には抜け出た穴が見えた。拡げた両翅の幅はゆうに10センチを超えるだろう。両方の下翅に眼のような模様があり、眼状紋と呼ばれるらしい。

羽化したばかりの蛾は、動きがにぶい、というかほとんど動かない。調べてみると、口は退化していて何も食べられず、幼虫のときにナラ・クヌギ・カシなどの葉から摂(と)った栄養分が尽きるまで生き、それまでに交尾を済ませて死ぬのである。顔をじっと見つめていると、私は思わず「山繭さま」と呟(つぶや)いていた。その老人めいた顔つきと、無防備でストイックな生き方がなぜか尊いものに思えたのである。

そういえばヘルマン・ヘッセが「クジャクヤママユ」という短編を書いている。うろ覚えだが、ある少年が優等生の所有するこの蛾の標本の美しさに魅せられ、思わず盗んでしまう。そしてそれを隠そうとポケットに入れたため、修復不可能なほど破損してしまうのだ。主題はこの少年の心の傷だが、母親がやさしく対応しても癒えることはなく、ついに昆虫採集じたいをやめてしまう…。

蛾が美しいと感じる西欧人の感性は、かなり日本人と違うのではないか…。蛾も蝶(ちょう)も同じパピヨンと呼ぶフランス人だけでなく、ドイツ人まで…。私は昔そんなことを思ったことまで憶(おも)いだした。

思えば日本での「山繭蛾」という名前の付け方じたい、蛾を軽んじている。しかも単に「ヤママユ」と呼んで蛾を指すこともあるのだから、あまりに安直ではないか。そういうわけでこのお彼岸前後にはあちこちで「山繭さま」を見かけ、複雑な気分に浸ったのだが…。

巷(ちまた)では北朝鮮情勢が緊迫し、山繭どころではなさそうだ。しかしそんな時だからこそ私の眼は「山繭さま」に向いてしまう。ヤママユを盗んだ子供の心の傷を思うことは、戦闘機を飛ばしたりミサイルを発射するよりよほど文明的ではないか。

少なくとも私には、山繭さまの顔のほうが「ロケットマン」と呼んだ人や呼ばれた人より素敵(すてき)に見えるのである。


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