2018年rensai

「福島民報」 福島民報社4月8日号

日曜論壇 愛姫生誕四百五十年
(76)

お寺ではあまり生誕何年というお祝いはしないのだが、今年は永禄十一(一五六八)年に生まれた愛(めご)姫(ひめ)の誕生から四百五十年めになる。福聚寺の開基田村家のご息女であるわけだし、年忌ではないが無視するわけにもいくまい。

愛姫と聞いてすぐに「あぁ」と憶いだす方は、おそらくNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』を視たのだろう。放映されたのは昭和六十二年だから、すでに三十年も前のことだ。幼少時を後藤久美子さんが演じ、その後は桜田淳子さんが演じた。

恰度父清顕公の四百年遠諱がその直後にあり、桜田淳子さんも招いてお寺で法要を行なった。伊達泰宗氏や片倉輝(てる)氏に混じって美しく正坐し、食事の席でも気配り上手だった姿を憶いだす。つまり私のなかでは、愛姫といえば反射的に桜田淳子さんを憶いだしてしまうのだ。どうしようもないことではあるが、そろそろ記憶を更新すべきだろう。

四月七日(土)から三春の歴史民俗資料館で「陽徳院 愛姫」展が開催される(五月十三日まで)。私も是非閲覧してみたいと思う。当時は知らなかった愛姫の手紙(消息)なども多く展示されるし、何より見てみたいのは嫁入りのとき持参したという平家伝来の琵琶だ。思えば伊達政宗という伊達者の正室である。お茶や管弦和歌の素養も並ではなかっただろう。着物も侍女たちに染め・縫い・綿入れなどを指示しながら独自に作っていたらしい。

数え十二歳で米沢の政宗(十三歳)の許に嫁ぎ、奥州仕置きのあとは人質のような生活が続く。第一子五郎八(いろは)姫が生まれたのは京都の聚楽第、伊達家の後を継ぐ忠宗は大阪城下で生まれ、次男卯松丸や三男竹松丸は江戸に移動してから生まれている。それだけでも戦国大名正室の苦労が偲ばれるが、おそらく愛姫は「陽徳」という院殿号のように活気に満ち、「榮庵壽昌」という戒名のようにとにかく元気だったのだろう。戒名を生前に授けたのは松島瑞巌寺を再興した雲居希膺(うんごきよう)禅師だが、愛姫はこの雲居禅師に「念仏禅」も学んでいる。

ところで生誕四百五十年で憶いだしたが、福聚寺の枝垂れ桜もそういえば樹齢がおよそ四百五十年だ。もしかすると愛姫の誕生記念に、父清顕か祖父隆顕が植えさせたのだろうか。

田村家再興を願いながら次男三男に夭折された愛姫は、晩年長男忠宗に子ができたことを夢告げで知る。そして田村家の後を継ぐ孫を、「色よき花の枝」と歌に詠むのだが、これは枝垂れ桜の実を蒔いて育てると、花の色にばらつきがあることを知っている人の歌ではないだろうか。

もしかしたら、愛姫幼少のときすでに、滝桜の苗木づくりは始まっていたのではないか……。愛姫生誕四百五十年の春、今や盛りと咲く枝垂れ桜を眺めながら、そんなことを思うのである。


関連リンク
>>三春町歴史民俗資料館

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