2018年7月 中日新聞・北陸中日新聞・東京新聞連載 うゐの奥山

第七三回 ホトトギスとウグイス

裏山でホトトギスが、庭でウグイスが鳴いている。ウグイスはもちろん梅の季節から初々しく鳴きだし、今では臈長けた声で「ホー法華経」どころかもっと複雑な鳴き方もする。時折、自分の声に酔っているのではないかと思うことさえあり、古来の「臈長けた」という言い方がじつに腑に落ちる。

一方ホトトギスの声は、東北では五月末くらいから深緑の山に響きだす。冬の間はインドから中国南部あたりで過ごすらしいのだが、日本にも主食の毛虫が増えてくると渡ってくるのである。

日本語の鳥の名前は、特に最後が「メ」か「ス」である場合、たいていその上の部分は鳴き声なのだと聞いたことがある。たとえば「ツバ」メ、「スズ」メ、「カラ」スに「カケ」ス、という具合だが、なるほど単純に鳴き声で呼ぶという発想は日本人らしい気がする。

それならウグイスは「ウグイ」、ホトトギスは「ホトトギ」と聞こえそうだが、すぐにはそう思えない。特にホトトギスでは地域や時代でさまざまな物語が紡がれ、「本尊掛けたか」とか「テッペン駆けたか」、また「特許許可局」とも聞こえるらしいが、私の住む辺りでは「ポットおっつぁけた」(腹が破れた)と聞く習慣で、彼らの貪欲な食欲を表現したのだろう。子供のときにそう教わったせいかそれ以外には聞き取れないのである。

いずれにしても、ホトトギスもウグイスも姿を殆んど見せないため、鳴き声だけがやけに耳に届く。とりわけホトトギスは人が寝静まった夜中や明け方にもよく響く声で鳴くから、人の心を刺激したのだろう。

「不如帰」という表記は中国の故事に由来する。昔、中国の蜀(しよく)の国で農業を指導し、遂に国王になって「望帝」と呼ばれた杜(と)宇(う)という男がいた。後に山中に隠棲してから死ぬのだが、死後もホトトギスに化身し、農業を始める季節になるとそれを人々に知らせるため鋭い声で鳴き巡ったという。また故国である蜀が始皇帝の秦に滅ぼされると、杜宇のホトトギスは「不如帰去=帰り去るに如かず=帰りたい」と言って血を吐くまで鳴いたという。「子規」もホトトギスのことだが、正岡子規がそれを俳号にしたのはこの「血を吐くまで鳴く」一事へのこだわりである。全体として黒や灰色の多い姿だが、黄色いアイリングと赤味をおびた嘴だけが目立つため、そんな話もできたのだろう。 単純に何の思いもなく聞けば、「キョッキョッ キョキョキョ」だが、聞くだけで山の深さを感じるのは不思議だ。「目に青葉山ほととぎす初鰹」(山口素堂作)は、鰹好きの私には堪えられない名句だ。

暢気につらつら書いてしまったが、じつはホトトギスとウグイスが同じ時期に同じ山で鳴いているのはとても深い事情に依る。いや、事情があるのはホトトギスのほうだけか……。

ウグイスが臈長けた鳴き声を響かせるのも、ホトトギスが夜討ち朝駆けで鳴きつのるのも、思えば求愛行動である。するとその結果、ウグイスもホトトギスも卵を産むことになるのだが、それは同じ時期じゃないと、ホトトギスとしては困る。ご存じの托卵のためである。

ホトトギスは自分で産んだ卵を自分では温めず、ウグイスの巣などに産んで飛び去ってしまうようだが、専門家の研究ではその成功率もそれほど高くはないらしい。ウグイスだって飛来を知れば威嚇するし、卵の違いに気づいてそれだけ落とすこともあるという。

裏山にそんな不穏な気配を感じていると、思わず「赤ちゃんポスト」を憶いだした。やがて昔のお寺に大勢いた小僧さんたちのことも憶いだした。思えば昔から、人間といわず禽獣といわず、子育て放棄もあり、それを補うシステムもあったということか。

またホトトギスがけたたましく鳴いた。なにはともあれ、夏の到来である。


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