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「読売新聞」夕刊 1月17日
私のテレビ評
文/最相 葉月

 イメージを言葉にして相手に伝えるのはむずかしい。まっすぐそのまま伝わることはめったにない。相手はその意味を理解しようと試行錯誤を繰り返すが、結果的には自分の新しいイメージをつくりあげていく。うれしい誤解もあって思いがけないことを気づかせてくれることもある。それが「表現」のおそろしくもすばらしいところだ。先日ふたつの番組を見てそんなことを思った。
 ひとつはNHKスペシャル「世界は彼女の何を評価したのか。ファッションデザイナー川久保玲の挑戦」(12日)である。着る者を選ぶ強烈なメッセージをもつことで有名な川久保のコムデギャルソン。驚いたことに、川久保はデザイン画を描かないデザイナーだった。はじめに自分のイメージをパタンナーに言葉で伝える。ときに抽象的でわかりにくく、川久保の真意をどうかたちにすればいいのか、彼らは頭がおかしくなるほど悩み苦しむという。連日川久保と個別に向き合いディスカッションをしてイメージをかためていく。
 かたちが決まると初めて生地が知らされる。生地が先にあるとかたちが制約されるからだという。逆に生地がかたちに変化を与え新たな発想を生む。川久保の言葉はパタンナーを動機づけ、さらなる転換を促す。かたちが川久保を刺激する。禅問答のような言葉の応酬からあの世界的なデザインが誕生するのである。
 翌日放送されたNHK「課外授業 ようこそ先輩」にはそんな「表現」の出発点があった。各界で活躍する人が母校で授業をする名物番組。今回は僧侶・作家の玄侑宗久が小学六年生たちに人生で一番不幸だと思うことを登場人物の名を架空のものにしてちょっとイイ話に作りかえさせた。そのためにほかの人を取材することを条件にした。
 たとえば、若白髪があって「おばあさん」と呼ばれ悩んでいた子は母親を取材し、母もまた同じ悩みをもっていたことを知る。あだ名をつけた友人は、自分にあだ名がなく本当はあだ名で呼ばれる子をうらやましく思っていたことを知る。その子供はそんな出来事を動物の物語にかえた。
 他者の言葉で物事の別の見方を知る。不幸がいつのまにかほのかな感動を与える物語に変化する。魔法を覚えたハリー・ポッターのように、表現の楽しさを知った子供たちの目は生き生きと輝いていた。
 ショーを見つめるデザイナーと子供たちの物語を聞き終えた作家もまた同じような目をしていた。伝えた言葉を相手に小気味よく、意外な方向に打ち返された結果勇気を与えられ、先に進もうとする決意のまなざしのようだった。
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