05 「Yomiuri Weekly」読売新聞社 10月31日 11月13日号
YomiuriWeekly
江上 剛(作家)

 坐禅が静かなブームらしい。私がコメンテーターとして出演しているフジテレビの「めざましどようび」でも話題として取り上げたことがあるが、サラリーマンやOLが時間を見つけて禅寺に行っているようだ。
 私も時々、坐禅をする。私の場合は、芥川賞作家の玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんの寺に行く。九月の終わりにも、ぶらりと行った。
場所は福島県三春町。滝桜で有名な土地だ。上野から東北新幹線で一時間半ぐらい乗ると郡山に着く。そこで磐越東線に乗り換え、二駅で三春に着く。山間にポツリと残されたような風情だが、伊達政宗が治めたという歴史豊かな町だ。
 またここはラジウム温泉で有名な町でもある。俳優のいかりや長介さんが湯治に来たというラジウムの岩盤浴施設がある。私は三春駅からタクシーに乗り、旅館に着くと、直(す)ぐに風呂に入る。坐禅のために来たのか、ラジウム温泉に浸(つ)かるために来たのかよくわからないが、湯は柔らかく気持ちがいい。
 温泉で心も身体も相当ほぐれ、午後7時からの坐禅に間に合うよう、ふらふらと歩いて寺に行く。玄侑さんの寺は、臨済宗妙心寺派福聚寺(ふくじゅうじ)といい、大変由緒のある寺だ。本堂には既に十数人がろうそくの明かりだけのほのかな中で座っている。私も場所を得て、座る。正式には結跏趺坐(けっかふざ)という、両足首をそれぞれのうち腿(もも)に載せる座り方をしなくてはならないのだが、足首が固くて無理なので片足だけ載せる方法で座る。
 玄侑さんは芥川賞作家という多忙な方なのに毎月25日に坐禅会を開いている。無料、檀家(だんか)であるかどうかも関係なく自由に参加できる。
 玄侑さんが現れる午後7時ごろには本堂はほぼ一杯になっている。ちょっと数えてみたら40人くらいはいる。その人たちが無言でただ座っている。本堂には凛(りん)とした空気が漂っている。
 坐禅はただ座るだけである。私が解説するわけにはいかないので玄侑さんの受け売りだが、彼の著書「禅的生活」(ちくま新書)に、こんな言葉が書かれている。
 「『知足』を知って『不足』を楽しみ、また覚悟を決めて『ゆらぎ』を楽しむ」
 私流に解釈すれば、「自分自身も人生もその他生きているということは、いろいろと思うにまかせないことばかりだ。そんなことを全(すべ)てひっくるめて楽しんだらどうなんだ」というようなことだろうと思っている。実際、ただ何もしないで座っていると開け放たれた戸の間から吹き込んでくる秋風が心地よく身体を撫(な)でてくれるし、遠くから虫たちの交響楽が聞こえてくる。いつの間にか足の痺(しび)れも快感になってくる。身体を傾けると警策でパシッと背中を叩(たた)いていただける。満ち足りている、という気持ちになる瞬間だ。
 サラリーマンもOLも会社という組織に住んでいると、しがらみにがんじがらめになってどうしようもない時がある。いわゆる迷いである。そんな時に坐禅をする人が多い。ストレス解消、自分を見つめる、自分を変えるなどが動機になっている。効果は十分にある。普段は何かをしなくてはならないと焦ってばかりいるが、何もしないでただ座るだけで心が徐々に整ってきて、迷っている自分も認めてしまおうという気になるから不思議だ。龍雲寺(世田谷区)、林泉寺(文京区)、龍源寺(港区)など都内にある多くの寺でも坐禅会を行なっている。多忙な経営者こそ無為の時間が必要だと思う。一度座りに行くといい。

※このコラムは、江上剛さんより御紹介頂き掲載致しました。ありがとうございました。
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