116月7日「静岡新聞」 朝刊 

福島から意見発信 東北の風土守る復興を

東日本大震災発災直後から、メディアやブログを通じて発言を続ける。
生まれ育った福島県三春町にとどまり、日々刻々と変化する状況を見つめながら

 本当に残酷な状況。心身を支えるための労働ができず、朝から何もやることがない。アルバイトを見つけて働きに出る人も増えていますが、福島県は第1次産業の従事者が多い。仕事場を無くしてしまったのです。
 漁業や農業は、もともと自然とともにある仕事。天災には強いはずです。しかし原発事故は別問題。これまで育んできた土壌を失い、回復には気が遠くなるくらいの時間を要します。
 それでもなお、県外に避難した住民が福島県に戻るという現象が起きています。先祖代々、何百年も土地を受け継いで暮らしてきた東北の人々にとって、土地は大きな意味を持つからです。

三春町は福島第1原発から45キロ。風評被害が農業、観光産業に打撃を与える。目に見えぬ放射能の影響に苦しむ中、近隣自治体からの避難民を受け入れている。

 原発事故を経て、県民の意識も変わりました。これまでの日本に、ふるさとに戻れないかもしれないという危機は無かったでしょう。戦時中の疎開より長い時間を要するかもしれないし、戻ることができるかどうかも不明。底知れぬ不安の中で土地を離れるのは、もはや移住に近いのです。
 土地を離れた人々は、どのようにコミュニティー意識を保つのでしょうか。例えば華僑などは民族独自の祭りを保つことで、またユダヤ人は厳格な戒律を守ることで結束しました。
 地震や津波被害、原発事故と、県内どこへ行っても人々は共通の困難の中にあり、普段よりも共同体の和合力が高まっています。一方で、分散移住したままコミュニティーの独自性を保つのは難しい。これからの課題だと思います。

東北独特の気風をどのようにくみ取るか。政府の復興構想会議の席上でも提言する。

港の数を減らして大きな港を造る。国内外に農業の代替地を用意する。これら合理的な市場の論理は、都市特有のもの。東北の人々とはかなり違った考え方です。経済活動だけで語り切れない生活文化があります。
 また南相馬市などでは、一軒の家が防風林や畑を所有していて、家と家との距離が離れています。近すぎるとなれ合ってしまって仕事にならない。独自自尊な生活スタイルがあります。それがアパート暮らしになるというだけで別世界。
 復興を急ぐと、とかく集約的になる恐れがあります。経済的な合理性だけを追求する姿勢は時に、原発と同じ危うさを孕んでしまう。東北のスタイルを大事にした復興を願います。

寺はコミュニティーの中心的存在。救援と鎮魂の機能は重要だ。檀家や地域と接する中で気質に重きを置く

 哲学者の和辻哲郎は「風土」の中で、日本人の気質を「モンスーン」型と位置付けています。普段はコツコツと努力するけど、諦めが良いところがある。忍耐と諦め、矛盾する二つの心を備えているのです。世の中に絶対的なものは無いという「両行」の考え方が、日本人にはあります。
 これから福島はどうなるのか。新エネルギー研究の実験場になり、放射能研究の拠点になるかもしれない。医者や学者を目指す人が育ち、新たな発見に結び付くかもしれない。今回の震災は、大きな変化を生むきっかけかもしれません。悪いことばかりではないと考えるしかないのです。
 「人間万事塞翁が馬」という故事があります。物事は予測できない方向へ進むこともあるので、単独で喜んだり悲しんだりしすぎないという意味。自分のたどった道を肯定して、次の一歩を踏み出す力にしていきたいものです。

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