11  6月5日、12日、19日、26日(日曜日)インタビュー記事4回連載
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「自分を見くびってはいけない」 玄侑宗久が語る仕事-2

「本来の自分」信仰を捨てよう

多くの職業現場を体験した20代

 小説家とかお坊さんにとっては、どんな体験も肥やしになると考えて、私はさまざまな仕事に就きました。たぶん全体を知った上で仕事を選択した、というスタンスをとりたかったのでしょうね。ナイトクラブで水商売もしてみたし、土木作業もやりました。この機会にやらなければ一生しないだろうと思ったのがセールスマン。当時ワンセット二十数万円した英語教材を売るのですが、営業成績は悪くないのに売れるたびになぜかすまないような思いにとらわれる(笑)。

 忘れられないのは、その英語教材を売ったある予備校生のことです。受験用には向かない教材だと感じていたので、とても申し訳なくて、私が受験の時に吹き込んで勉強した英語テープを、もう一度吹き込み直して送ったりしていました。また、広告のコピーライターもしましたが、けっこう気が塞ぎましたね。小説とは違う世界なので、骨を穿(うが)つような言葉が吐けなくなる気がしたのです。

 世の中のいろいろな職業を体験してみると、どんな仕事を目指すにしても、最初から「私」に合った仕事だけを自分で決めて探すというのはもったいない。もともと「本来の自分」などはなく、「私」が放り込まれた現場の中で、そこに対応する自分が顔を出してくるわけです。どんな可能性があるか自分でも分かりませんから、現在たまたま見えている「私」を守ろうとするあまり、仕事との縁を切らないでほしいと思います。

若い人はファジーでいい

 私の原作本『アブラクサスの祭』を映画化した加藤直輝監督は、1980年生まれとまだ若いのですが、彼には独特の「はっきりしなさ」、ファジーさがあって、それが周りの意見をみんな吸い込んでいくように見えました。撮影の早い時点で「僕はこうだと思います」と言ってしまうと、もう周りからの意見はピタッと止まるものですが、彼は4人いる年上の助監督の意見を全部じっと聞いて最後まで何も言わない。そして改めてその場で考え、最良の選択をしていきました。

 若いうちは見聞きしている世界が少ないのですから、別な人や知らないことに向き合った時にはファジーな対応が正解だと思います。でも最近では、若いほどはっきり自分をアピールしがちだし、分かりやすい夢や目標を掲げるべきだと追い込まれている。とりあえず自分のキャラを立てることにエネルギーを使う様子は、本来若い人には不似合いで可哀想な状況です。

 通信機器が発達して、メールなどで来る日も来る日も「自分はこういう人間なんだ」と輪郭を確認するのは、実はつらいことです。あいまいな「私」ではなく、はっきりとした「本来の私」にならなければと焦るから息苦しくなる。そんな必要はまったくなく、今ある自分は十分に私らしいと思っていいのです。

 時々目を閉じて周囲に振り回されない時間を作り、一回ファジーな時間に戻ってみてほしい。めまぐるしく細かな情報を分析しながら「私」を確認していくことを休み、むしろ何にでも対応できる無心の自分を信じていくことです。(談)

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