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『死んだらどうなるの?』(1)(2)

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【更新日:2月28日】 【No.11】投稿者:敦子様、東京都新宿区の女性

幼い頃、母に「死んだらどうなるの?」と聞き、ワンワン泣いたのを覚えています。その頃から死ぬというイメージは、底なしの真っ暗な井戸のような穴の中を落ち続けることでした。あの落ちていく穴は、もしかして産道のイメージだったのでしょうか・・・ 
 だれにも答えてもらえず、死への恐怖との戦いが、時々休みつつも、大人になってもずっと続いたように思います。
 『中陰の花』を読んで、ボロボロ泣きました。ずっと抱えてきた問いにやっと答えてもらったという気がしていました。次に『アミターバ』を読み、もう怖くない、私には私の信じる死と死後があると思いました。
 そして今度はこれがそのままタイトルになった本が出されたと知り、迷いながらもやっぱり読もうと手にしました。正直に申しますと、私には説明されるよりも、小説から感じるとることの方がよかったと思いました。
 先月、父が亡くなりました。葬儀の間、どこに父がいるのだろうとあちこちの隅っこを見ていました。今もこのメールを横から覗き込んで笑っているような気がしています。

【更新日:2月22日】 【No.10】投稿者:丸山様、46才、群馬県の女性

死を考える事は、生きる事 命の尊さを感じる事だと想いこの本を手にしました。魂の存在 輪廻転生を信じています。ご縁は死後の世界でも続くものと思える昨今です。子供の頃、土に埋葬することに畏怖し『魂は天国に行くのだから。』という言葉に救われました。地の中に天国があるとはとても想像できませんでしたから・・・。
『ついにゆく 道とはかねて ききしかど きのふ今日とは 思はざりしを』
bar在原業平
誰もが逃れられない死を迎えた時の人間の真情を素直にとらえた歌と記憶しています。死んだらどうなるかは誰にとっても不識でよいのではないでしょうか。でも、心の中で秘かに浄土を信じています。

【更新日:2月21日】 【No.09】投稿者:小島様、48才、群馬県の男性

カミサンに誘われて読み始めました。玄侑さんがお坊さんとは思えないほど科学的なお話が続き、時折訳がわからないほど頭の中が混乱しました。巻末に近づきやっとタイトルにつながった内容になり、ホットした感じです。
 結局人間は、生きている限り死ぬまで精一杯生きること。必ず来る「あの世」という世界を待ちたいと思いました。
 お元気で。

【更新日:2月16日】 【No.08】投稿者:藤田様、30才、東京都の男性

私は三十路に片足をいれたほどの若輩だが、この年でも身近なところで若い死に直面してきた。
以来私はなにかに挑戦するにあたって、どんなことでも死にはしない、という気構え、いわゆる「死ぬ気」でのぞんできた。決して死が恐ろしいもの、忌み嫌うもの、ととらえてきたわけではないが、どこかこころのなかで、迫ってくる、追われている、という観念で見ていたかもしれない。しかし本書を読み、良寛さん、一休さんと「さん」をつけて親しまれている先人の、楽観的でユーモアのある句に笑い、アインシュタインという物理学の巨人の「意識」のとらえかた(「自分」が「錯覚だったとは)に驚いているうちに、「死」が大きな流れの一つに過ぎないような、そんな気がしてきた。肩の力が抜けたのだろう。
沢庵和尚のいうように人生は「夢」なのかもしれない。ならばなんでもできる気がする。私の夢に出てくる私はいつも自由だからだ。

【更新日:2月12日】 【No.07】投稿者:39才、岐阜県の女性

「死んだらどうなるの」か?そんなこと考えても分かるはずがないのは充分に承知しているはずなのですが、いざ身内の死や自分の死に直面したとき、「分からない」とあっさり言われてしまうのもやはり寂しいものです。この最大の難問に玄侑先生は真剣に答えようとしてくださっているのが、とても嬉しくて、しかもその内容は温かく希望のもてるものでした。本当に「いいお話をきかせていただいた」と感謝しています。
 それにしても、言葉で表現するのは非常に困難な内容だったと思いますが、とても分かりやすく書かれていて、ほんとうに楽しく読ませていただきました。
私たちの脳の判断というものは、科学論文やオリンピックのジャッジと同じで少数の極端な結果・採点は無視されていたのですね。切り捨てられた出来事にも(このときには)見えていないたくさんの意味(これは縁起といっていいのでしょうか)があったでしょうに。「私の脳の判断」となると、これはもうかなり「怪しい」なあと、自分がかつて書いた学位論文を思いつくづく納得してしまったのでした(笑)。
見えるはずのものが見えなかったり、見えないはずのものが見えてしまったり。ちっとも不思議じゃない。それは当然のことだったのですね。

【更新日:2月11日】 【No.06】投稿者:まお様、25才、男性

幼い頃、「死んだらどうなるの」と考える度に、その悲しさから何か背中の下から上にかけて熱いものがこみ上げてくる様な感じがしたという記憶が鮮明にあります。
高校生になってからも変わらず、その答えを探す為に友人と議論したり、本を読むなどして現在に至ります。そして今この本に行き当たりました。
本書で述べられる、「死」は確かに現実の「死」を確実に言い当てているものでは無いのかもしれませんが、現実の死は「誰にも分からない」ということであり、それを考えて苦しむよりも、「今」という時をどのように生きるかが問題であるのではないかと問いかけているように思えました。
「生きて生き抜く」ことしか僕達の人生を充実させる手段は無い。それを本書と著者の著作群から感じ、それを「志」として生きようと思いました。

【更新日:2月10日】 【No.05】投稿者:埼玉県、50代、女性

はじめに怖かった死のことが書いてありました。私も子供のころ同じような恐怖を抱いていました。そして無になることも信じたくなく、想いを変えて天国を信じ、空を見上げては、これでは空がいっぱいになってしまうと子供心に思っていました。この本に同じことが書いてありホットすると同時に嬉しくなりました。
 大人になると不思議な体験も沢山いたしました。思いがけない所で思いがけない人に会ったり、、、きっと誰でもあると思います。気づいているか、いないか、、の違いだけで、、。忙しい時は見逃していました。でも先生の『禅的生活』に出会ってから、日常的に見出せるようになりました。
 この本の中に「目には見えない世界」という項目があります。この中でこんな不思議を物理学の面から解説されていてとても説得力がありました。生まれると同時に死に向かっている私たちですが、考えたくないことに向き合うことで新たに生きるエネルギーがわきました。ありがとうございました。

【更新日:2月9日】 【No.04】投稿者:フィラデルフィア在住、女性

『死んだらどうなるの?』読み終わりました。今まで玄侑さんの御著書を何冊も読んできたし、講演会にも行って話を聞いてきたし、夫は夫で心理学者なのに原子物理学の論文も書いたりするから、ハイゼンベルクもシューレディンがーもボーアも聞いたことがない人たちではないなどなどで、本当に楽しく読み進めました。それにあの楽しい、明快な、魅力にあふれた玄侑さんの文章です。出された結論については潔く、すかっとしたとしかいいようがありません。

【更新日:2月8日】 【No.03】投稿者:淺海様 39才 埼玉県の女性

父を17歳の時に亡くしたもので、身近な愛する人は突然にいなくなってしまうこと、いなくなってもその人の影響がなくなってしまうわけではないことなどをいつも感じながら生きてきました。
死ぬときは、「ああ、精一杯生きた」と思って死ねるようでありたいと思います。
鬱になり、自殺しかけたこともありますが、今はそれもよき経験となって日々を暮らしています。
答えを知りたくて『死んだらどうなるの?』を読みましたが、答えはないのが答えと知って、なんだか笑ってしまいました。

【更新日:2月8日】 【No.02】投稿者:たか様 32才 富山県の男性

う〜ん、実に阿片な話でした。

【更新日:2月4日】 【No.01】投稿者:60代 福岡県の男性

『フィールド 響き合う生命・意識・宇宙』リン・マクタガ−ド著(野中浩一訳)を読んでいる途中に、書店で貴著に出会いました。貴著を読んで驚いた。『フィールド』で紹介している科学者(異端科学者に見えるかもしれないが、まともかもしれない)の実験が意味する主な点は、貴著が(仏教の立場から)説明している内容と非常によく似ている(同じ?)のです。実は、私自身、生粋の(?)物理系生物学者です。私も、科学者として持っている現在の考えを根本から変えないといけないかもしれませんね。

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