以下は、講演会報告です。

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2月20日(日)

NPO法人葬送の自由をすすめる会 15周年記念シンポジウムへパネリストとして参加。
15周年記念シンポジウム「臨終から葬送へbar現代の死の作法bar
死に向かう人と看取る人がつくる新しい可能性を探る。
主 催:NPO法人 葬送の自由をすすめる会
東京・有楽町朝日ホールにて。13:00 開会(開場12:30)
[コメント]
シンポジウムというスタイルは何度か経験があるけれど、今回のは面白かった。お寺としては、散骨に諸手をあげて賛成するわけにはいかない。そのことも承知で、きっと私はよばれたのだろう。先輩作家の村田喜代子さんが面白い喩え方をした。「我々全員がいま、わからない『死』の水際に佇んでいるようなものだ」と。中沢さんも柏木さんも安田さんも、それぞれの立場からいろんなものをその湖に投げ込んだ。その波紋が干渉しながら広がっていった。コーディネイターの山折先生もその波紋の干渉をじっくり眺めながら、ご自分でも石を投げ込んだ。「私は最後、絶食して死にたい」と、最後に仰ったのである。波紋は聴衆の皆さんの脳内にも及んだことだろう。
まとめは、ない。まとめようもない。まとめるのは、聴衆のお一人お一人。しかも時間をかけてすることなのだろう。散骨も自然葬も、都市部における過渡期の現象だと、私は考えている。都市は今後、「私の埋葬」ではなく「みんなの埋葬」を、真剣に考えていかなくてはならないだろう。それは同時に、「自然」についての思考を深めることにもなるはずである。あれ? 思考はすでに自然じゃない? しかしこの際はそうも言ってられない。

パネリスト(敬称略)
山折哲雄(国際日本文化研究センター所長)、村田喜代子(作家)
中沢新一(中央大教授・宗教学)、玄侑宗久(僧侶・作家)
柏木哲夫(金城学院大学長・淀川キリスト教病院名誉ホスピス長)
安田睦彦(葬送の自由をすすめる会会長)

2月15日(火)●演題「自燈明について」

仙台市仏教界涅槃会にて講演。
仙台市戦災復興記念館にて。18:00〜涅槃会の儀式。18:30〜20:00
[コメント]
仙台臨済会主催の、涅槃会での講演だった。したがって私の後ろには涅槃図が祀ってあった。お釈迦さまが西面北枕した、アレである。まぁ後ろに涅槃図があるのは覚悟していたが、まさか私の両側にまで聴衆が坐るとは思っていなかった。消防法の抜け道だろうか、つまり立ち見はいけないが、舞台上なら何人までという制限はない。そこを客席にしてしまったのである。
演題は「自燈明」。「無我」と認識される「我(アッタン)」を、いかにしたら頼りにすべき自己に調えられるか、というお話だった。

1月29日(土)●演題「自由意志について」

第1回 全国地域生活支援ネットワーク・ふくしまフォーラム
1月29日(土)〜30日(日)開催、その中の29日に玄侑宗久の講演が開催されました。
福島県郡山市、ビッグパレットふくしまコンベンションホール 10:30〜12:00
[コメント]
北は青森から南は沖縄まで、福祉関係の現場の人々が集まった。私は福祉につきものの「ボランティア精神」について話した。ボランティアの語源はラテン語の「ヴォランタス」(=自由意志)である。自由意志で、しかもおずおずと行われなくてはいけないと思う。自分のしていることを「好きで」していると思うことが大事だが、それだけではストーカーと変わらない。好きでしていることを、「正しい」と思わず、おずおずすることこそ肝要なのである。

1月26日(水)●演題「風流に生きる」

大手町KDDIホールで行われた「シチズンズ・カレッジ」の講演。18:45〜20:30
NPO法人ザ・シチズンズ・カレッジ 公式サイト→
上記、公式サイトの「第93期講座 講演レポート」にて、講演会を聴講された方々の感想がお読みになれます。
「シチズンズ・カレッジ」というから、時計のシチズンと関係あるのかと思っていたら、全く無関係とのこと。昔は東京市民大学講座という名前だったらしい。数学者の岡潔先生のご意志が、その創立には絡んでいるらしい。「数学は情緒である」と仰った方だ。なんだかとても風流に聞こえる言葉だが、真意はきっと深いところにあるのだろう。事務局の方が調べてくださった「風流」の英訳、Person of taste は、しかしなかなかの訳だ。風流を「人」と見ているあたりが凄い。

1月22日(土)●トークセッション「禅を語る・絵を語る」

朝日カルチャーセンター・横浜の開講25周年記念講座。15:45〜17:45
作家・禅宗僧侶 玄侑宗久 × 明治学院大学教授 山下裕二
[コメント]
山下先生のスライドを見ながら、雪舟、雪村、白隠のことを二人で話した。いずれにも共通するのは禅僧であり、道教的であり、長生きしたこと。スライドの内容は事前には見ていなかったので、とんでもないものも出現したが、それも面白かった。最後に白隠の「百寿図」に因み、長生きのための「白隠禅師独按摩法」について話し、お持ち帰りいただいた。感覚に直接訴えてくるディテールや全体の分析は、さすがに美術批評界に風穴をあけた山下先生。特に白隠さんの墨跡はこれまであまり美術として語られなかったので、新鮮な見方ができてとても面白かった。ご来場くださった方々にもお楽しみいただけただろうか。

1月15日(土)●演題「仏法は障子の引き手」

仏教書フェア『仏教的生活』フェア記念企画講演。
丸善仙台アエル店にて。14:30〜15:45
2004年12月27日から2005年1月23日まで、仏教書フェア『仏教的生活』が開催されました。フェア記念企画として、玄侑宗久の講演会が開催され、会場では、玄侑宗久が薦める仏教書が紹介され展示販売も行なわれました。
[コメント]
あいにくの雪のため、整理券を持ちながら講演会においでになれなかった方もあったようだ。丸善仙台アエル店へは初めて行ったが、仏教書フェアはなかなかの充実ぶり。今ならかなり貴重な本も揃うから、お近くの方は是非おでかけになってみてほしい。演題の「仏法は障子の引き手」というのは、古い道歌の出だし。全体では「仏法は障子の引き手峰の松火打ち袋に鶯の声」という。
その心は? いずれも無くては暮らせないというものではない。しかし、無いと締まらない。いわば実生活上の目安。
べつな言い方をすれば、色即是空と「空」を認識したあと、人はまた空即是色と現実の「色」へ戻らなくてはならないということだ。つまり障子の引き手も峰の松も火打ち袋も、現実では重要な「よすが」。これがいわば文化を織りなすのである。

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