11
11月24日

今年は閏2月というのがあった。そういう年は春が長く、夏も長く、秋も長いのだと古老に聞いた。たしかにそうだったような気がする。じゃあ冬はどうなるんでしょう、と訊くと、彼は「そりゃあお楽しみ」と答えた。新潟ではそうも言ってられないかもしれないが、基本的にはコントロールできないものを楽しむ力を、田園の人々は持っている。楽しめないのは自己が都市化したせいだ。「帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れなんとす」。田園を蕪(あ)らすのは、何でもコントロールしたがる大脳皮質なのである。

11月15日

紅葉の最後を飾るのは落葉松。夕日を浴びると黄金色に輝く。きのうから、「母から子への手紙」コンテストの審査に出かけていたが、その会場の周囲が見事な落葉松林だった。反対側の窓は猪苗代湖の湖面。むろんゆっくりそれを眺めているわけにはいかないが、悲喜こもごもの手紙が、今となるとその景色に収斂していくようだ。美しく、はかなく見えながら、母親たちの思いは大地にしっかり根づいている。

11月6日

三重県の鈴鹿市に行く機会があった。いつものようにトンボ返りなので、土地柄などはよくわからないが、文学熱が高いことには驚いた。お会いする人の多くがご自分の著書を私にくださるのだ。どうも、清水信さんという80代の長老の牽引力が強いようだ。私のほうが先に飲みつぶれ、恥ずかしかった。翌日お会いしたのは個人で美術館を運営されている90代の女性。文学熱と長寿の関係はさだかでないが、さても凄い人々である。

10
10月30日

境内の桜や柿の葉がきれいに紅葉してきた。玄関前のドウダンツツジは内側からもガラス越しに紅色が透けてみえる。朝晩の冷え込みが始まり、新潟の体育館で寝泊まりする人々はさぞかし寒いだろうと思う。紅葉が美しいとも、おそらく今は思えないだろう。美術家は怒るかもしれないが、やはり美だって状況ひとつで感じたり感じなかったりするのだと思う。今は月も美しい。そう感じる自分の状況がありがたい。地震のひどかった新潟県の小出は、初めて家出して泊めていただいたお寺のあるところだ。記憶にあるのは和尚さんと寺の佇まい。そして家族。植物のことなど全く覚えていない。そういう状況だったのである。

10月24日

「泣きっ面に蜂」とは、今回の新潟のことだろうか。台風で地盤も緩んでいたところに地震。本当に気の毒だと思う。田圃もどうなっただろう。最初の揺れのとき、私は地震に強いと言われる帝国ホテルで対談していた。対談相手の香山リカさんの、揺れに対する敏感さには驚いた。まだ私や編集者が感じていないうちから予震を察知し、立ち上がったのである。運動は苦手だと仰っていたが、あの敏感さはタダゴトではない。病んだ精神に向き合うときも、きっとあの絶妙な平衡感覚が働いているのだと思った。
新潟の人々は昔から辛抱強い働き者だと言われる。江戸に出てきて湯屋を営んだ人には、越後や越中の人々が多かったらしい。湯屋と辛抱がどう関わるのかは知らないが、今回の災難も、辛抱と楽天の気分で乗り切ってほしい。それはきっと、敏感さと鈍感さを同居させる智慧かもしれない。

ところで話は違うけれど、今月25日の坐禅会は講演のため中止にしましたのでご了承ください。

10月19日

境内でお茶の木と枇杷の木の花が満開である。いずれも中国の江南地方から、禅と共に日本に入った木だ。それにしても例年は11月に咲くのだが、今年はずいぶん早い。うちの近所では、このところ雨の隙間をぬって稲刈りが盛んだ。稲刈りの景色は昔から好きだが、今年の米の買値はやたらに安いらしい。
まとまりのない文章で、失礼。

10月12日

このところ車を走らせると、ススキとセイタカアワダチソウが同居しているのをよく見かける。生物学的には「馴化」というそうだが、一頃は喧嘩していた関係が、どうもセイタカアワダチソウが小さくなることで折り合いがついたようだ。
人間の馴化もこんなふうだろうかと思うこの頃である。

10月7日

ご縁により、このたび公式ホームページを立ち上げることになった。
変化というのは、たぶん善し悪しを超えて受け容れることで善い変化になるものだと思う。
HPを公認から公式に変えたことも、そういうことだと思っている。
皆さんも新しいHPを楽しんでいただけたら嬉しい。


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