9

12月24日

成道会だと思っていたら、あれよあれよという間に暦尾である。この辺りは今、雨が降っているが、もしかすると雪に変わるのかもしれない。まぁなるようになるのだろう。それにしても、ノロウィルスで旬の牡蠣が食べられないのはひどい。私はいつも、なるようになると考え、狂牛病が出ても牛肉を食べ、鳥インフルエンザでもおかまいなく鳥を食べてきた。ところが今回は、なるようになるだろうからとカキフライを注文したら、店が仕入れておらず、しかも牡蠣そのものの値段が暴落しているという。なんと酷い世の中だろう。ノロウィルスよりも、この極端な人の心が怖い。

12月8日

今日はお釈迦さまが成道された記念すべき日である。うちのお寺でも成道会(じょうどうえ)のために朝から檀家さんたちが集まり、けんちん汁や野菜料理を作ってお供えし、一緒に会食して解散した。けんちん汁は温まる料理の典型だが、これは各地の道場で蝋八期間中の定番だろう。天龍寺では毎日茶飯にけんちん汁だった。このバランスは素晴らしい。里芋がほとんど丸ごと入った道場のけんちん汁がなつかしい。

9

11月29日

最近、山形県の鶴岡市に行く機会があった。「蝉しぐれ」などの映画で注目を集める、藤沢周平氏の故郷である。藤沢氏原作の映画でも感じることだが、武士たちの清貧な暮らしや、殿さまの庶民を思い遣る気持ちが嬉しい。なるほどと思ったのは、この町には今も酒井家第十八代当主、つまりお殿さまが住んでいらっしゃるのである。現在館長をされている博物館を親しくご案内くださり、あまつさえ前晩には酒席を共にさせていただいた。今でも「お殿さまとか、殿とか、呼ばれるでしょう」と伺うと、「ニックネイムとして、ですね」とお答えになった。気さくだが、やはりどこか凛とした気配は、殿さまなのだった。なんだか嬉しい旅だった。

11月15日

おっぱいの語源は、三重県のHさんが教えてくださったのですが、以下の通り諸説あるそうです。

1. 「ををうまい(おおうまい)」が約まって、「おっぱい」になったとする説。
2. 「お腹一杯」の「いっぱい」が転じて、「おっぱい」になったとする説。
3. 中国春秋時代の学者『王牌(おうぱい)』が転じて、「おっぱい」になったとする説。
4. 古代朝鮮語で「吸うもの」を意味する「パイ」から、「おっぱい」になったとする説。

「1」の説は1859-60年の『於路加於比(おろかおい)』によるもので、おっぱいの意味が書かれた最も古い文献のため有力とされ、その次に「2」の説が有力とされる。
「3」の説は、おっぱいとの関連性が薄いため、音から考えられた俗説であろう。
「4」の説は、意味の面では通じるが、古代朝鮮語が突如近世に現れ、幼児語として用いられるようになった点が不自然である。
以上、なんだかおっぱいらしくない話ですが、ご報告しておきます。

11月7日

好天気がしばらく続き、農家は大喜びであったこと、まずはご報告しておきたい。ところで昨日から一泊で「母から子への手紙コンテスト」の選考会に出かけていた。毎年のことではあるが、原稿用紙一枚でよくもあれほどの内容が書けるものだと感心する。今年の大賞受賞作は、千葉県の方で、おっぱいの話であった。それにしても、どうして「おっぱい」と呼ぶのか、なんとも風情のある、素敵な言葉ではあるまいか。「おっぱい」。どなたか語源をご存じだったら教えていただきたい。この明るい響きが、とてもいい。あ、これは純粋に言葉の問題なので、誤解なきよう、、、。

「母から子への手紙コンテスト」b3

9

10月28日

このところ、農家の法事に伺うと、天候にけっこう敏感になっていると気づく。むろん稲を自然乾燥にしている家のことだ。うちの町ではここ三日ばかり雨が続いたため、せっかく乾きかけていた稲束が、またびっしょり濡れてしまったのである。今日は気持ちよく晴れ上がったが、あと4〜5日は風のある快晴の日が続いてほしいと、彼等は云う。しかし天気ばかりはどうにもならない。それは彼等も知っているから、「けっこう敏感になっている」といったって、お天道さまに祈るくらいしかできない。あとは陽気に待つしかないのである。国にこの米を買ってもらうには、水分の含有率15%まで乾かさなくてはならない。数年前までは16%だったのに、長く保存できるように15%になったらしい。彼等は食べて旨いのはなんといっても15.5〜16%だと云う。自然乾燥では15%までは乾かないため、電気乾燥を加える農家も多い。食べて美味しくないほど保管のために乾かすなんて、どう考えてもおかしい。

10月22日

最近、五木寛之氏と鎌田東二氏との対談『霊の発見』(平凡社)を読んだ。じつに刺激的な対論であった。この本を読みながら秋田県の角館まで往復したのだが、おかげで途中の景色を殆んど見なかった。しかし少しだけ浮かぶ景色、たとえば秋田新幹線の車窓にあまりに迫った杉林や見下ろす渓谷など、それらも、なんだか『霊の発見』に染まった景色として甦る。これはかなり困った本だ。困った本は嬉しい。

『霊の発見』については、平凡社→をご覧下さい。

10月13日

このところ、檀家さんの持参してくれた鈴虫が、玄関で鳴いている。もう10日以上、ずっと鳴いているのだが、不思議なことに、彼等は夜中でも鳴き続けているのである。たまに3時に寝たり、4時に起きることもあったのだが、そのときも鳴いていたから驚いた。いったい彼等は、寝ないのだろうか。それとも寝ながらも翅を擦りつづけるのだろうか。回遊魚は移動しながら寝るらしいが、鈴虫はどうなのだろう。地上での短い生を、寝るなんて勿体ない? そういえば、寝てるのかどうか分からない生物も結構いる。

9

9月26日

彼岸花その後もさまざまな方から彼岸花情報をいただいた。どうもこの花、北限は青森、南限はミャンマーのようだ。これは友人が埼玉県で撮影した彼岸花である。北海道出身の彼Y氏は、本州に来るまでこの花を見たことがなかったらしい。九州の大分県で、今日26日が盛りだという連絡も入った。また「神奈川県逗子市では、9月21日に見たとき、近くの家の庭は満開、線路脇は1〜2輪だけ咲き、あとはつぼみという状態でした」という読者情報も。大分でも、ひなたは遅いという。やっぱり不思議だ。(画像クリックで拡大表示)
bar
その後、熊本でも20日あたりに続々咲いているという情報が入った。また松山でも、今あちこちで咲いているという。これで九州、四国は分かった。分からないのは福島以北だが、どうだろう。意外に北は早かったりすると面白いが……。やはり殆んど一斉なのだろうか。ちなみに、彼岸花によく似たコヒガンバナやシロヒガンバナは開花が少し早く、黄色い彼岸花は普通の彼岸花とほぼ同じ時期に咲くようだ。
なんだか彼岸花の話も深みにはまってしまったが、明日から留守にするので暫くは更新できないと思う。ご海容のほど。

9月24日

その後の彼岸花開花情報によれば、岐阜県美濃地方山間部から南飛騨にかけて、19日開花。しかも山や林の陰になっているところでより早く開花し、田圃の畦などの日当たりの良いところでは遅れて開花し始めているようだと仰有る。そして大阪では17日、鳥取県17日、東京19日、埼玉22日、福島20日だが、これは必ずしも開花日ではない。あとは福島以北と、九州、四国などが知りたい。どなたかご覧になったら教えていただきたい。それにしても、たしかに境内の彼岸花も、日当たりのいい土手のものは遅いようだ。さても不思議な花である。

9月23日

9月17日鳥取県、19日東京、20日福島、これは必ずしも開花情報というわけではありませんが、ともかくこの日に彼岸花が咲いていたことは確かです。また22日に埼玉県の100万本の曼珠沙華も四割は咲いているそうです。ほかに情報があれば教えてください。どうやらこの花、やはり気温とは関係なさそうですね。ちゃんとお彼岸界隈には咲くようです。うちの境内でも急ににょきにょき生えだし、何本かはすでに咲いています。本当に奇特な花です。

9月18日

いよいよまたお彼岸である。内面的な意味での「彼岸」とは、「私」がなくなることだろうと思う。「私」がなくなるとはどんな事態なのか、それは『現代語訳 般若心経』を読んで確かめ、自ら実践してみていただきたい。それこそお彼岸に最適の行だろうと思う。トップページのイメージがまた変わったが、これも飽くなき「私」のせいだ。京極さんの写真と宇賀神さんの撮った私の画像とが、彼岸と此岸のように入り混じっている。こうした融合と解離とが、私たちの日常に深みを与えてくれるのだろう。ところで今年のようなかわった天候でも、彼岸花はまもなくちゃんと咲いてくれるだろうか。さまざまな地方での開花時期を、また教えていただけたら嬉しい。

エリック京極さんのその他の作品は、「Tahiti」こちらでご覧になれます。音楽と共にお楽しみ下さい。

9月10日

ホームページのトップがフラッシュになった。今回の写真は日本のカメラマン、東小薗さんや宇賀神さん(女性)、そしてアメリカのバークレイ在住のエリック京極さんの作品を使わせていただいた。エリックさんとの繋がりは、以前鈴木秀子先生とご一緒に母上がご来山されたことがきっかけだった。父上はアメリカ人だが、全米でも指折りの空手師範。老荘思想に関する質問のため、その後わざわざお寺までおいでになった。エリックさんご自身にはまだお会いしたことはないのだが、世界中に撮影旅行されているエネルギッシュなカメラマンである。今回の作品は主にタヒチ島でのものだが、地域性があまり出ないものばかり使わせていただいた。いずれもうすこし、まとまった形でご紹介できればと思う。

9月4日

お盆明けに、隣町のお寺の尊敬していた和尚さんが亡くなった。その直前にうちのお寺の総代長さんも亡くなった。一つの時代が去った、という印象が強い。どういう時代だったのかと考えると、やはり進取の時代だったのではないだろうか。今日もまた64歳の檀家さんが亡くなった。三人に共通するのは、強引なのに憎まれない、ということだった気がする。おそらく心根の深くに、「公」が息づいていたのである。私もそのような時代を生きたい。そのような人々と共に生きたいと思う。

8

8月28日

今年は蝉は少ないが、オニヤンマが異常に多い気がする。うちの池の周囲を飛んでいるのだが、何を思うのか茶の間に入ってくるヤンマがじつに多い。蛍光灯めがけて飛び、その周囲の木枠にぶつかるアホも多いのだが、火鉢の灰に卵を産むつもりか空中に止まったまま尻尾を灰につけようとするアホもいる。昨日、そんなヤンマが空中でその場羽ばたきするのを見つめていたら、なんと私の顔に向かって真っ直ぐ飛んできた。私の顔が池にでも見えたのだろうか。ちっとも嬉しくはない、晩夏の夕暮れであった。


8月21日

このところ靖国問題と甲子園が沸騰していた気がする。高校野球は何の後腐れもないからいいが、靖国問題は勝負のような二元論に持ち込んでほしくない。参拝が是か非か、という性急なアンケートをとる以前に、知らなくては考えようもない材料がたくさんあるはずである。体験のない世代であれば知識が判断を大きく左右する。他国からの要求はあるにせよ、性急さを煽るマスコミの風潮はなんとかならないものか。マスコミや他国が作った土俵を一旦忘れ、自分の相撲をとるための土俵づくりからじっくり始めるべきなのだろう。来年の甲子園の準備も、まもなく始まる。

8月5日

まだ梅雨が明けないと、書いてしまったが、どうも8月2日の午前中に明けていたようである。これは気象庁のせいではなく、私の世間知らずのせいだ。ごめんなさい。なんだか急に暑くなったと思っていたら、「もう明けましたよ」と、タクシーの運転手さんに教えていただいたのだった。明けましておめでとう、という気分である。年に2回も「明けましておめでとう」と思えるなんて、もしかすると素晴らしい年なのかもしれない。いや、そうに違いないから、34度も辛抱しよう。ウサギも亀も、木陰で休戦状態である。

8月3日

8月盆が近づいてきているのに東北地方は梅雨があけない。なんだかウサギが昼寝している間に亀が近づいてくるような、妙な心地である。まさかこのまま、亀が追い越してしまうことはないだろうが、早く暑くなってくれないとお盆の気分が盛り上がらない。いや、お盆の気分だけでなく、田圃の稲も困ってしまうだろう。暑けりゃ暑いで文句はあるのだろうが、今はウサギを起こし、早く走れという気分なのである。むろんお盆の忙しさは、亀よりはいよいよウサギの気分だ。しかし結局は亀が勝つのだから、亀のままでいようか……。


2009年からの雪月花へ

2008.8〜12 13
2008.1.1〜7 12
2007.12 11
2007.3-11 10
ラオス訪問記 9
2007.1-2 8
2006.8-12 7
2006.1-7 6
2005.10-12 5
2005.6-9 4
2005.1-5 3
2004.12 2
2004.10-11 1

top
前に戻るup