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2月13日

中央公論新社から、岸本葉子さんとの往復書簡、『わたしを超えて〜いのちの往復書簡』が発刊になった。最近はメイルのテンポに慣れ、つまりその日のうちには返事をするようなやりとりが多いわけだが、こんなふうにゆっくりとじっくりと書簡を往復してみると、このスピードでなくては生まれないものがあるのだと気づく。理性どうしの摺り合わせから、結果としては相転位が起こったのだろうか。静かなやりとりの辿り着いた場所から、ご一緒に世界を眺めてみていただきたい。

2月5日

やはり今日の風は春一番と呼ぶべきなのだろうか。まさに暴風だった。井戸端の一輪車が転がり、水差しが壊れ、箒立ても箒ごと倒れた。それにしても、自然の思わぬ変化を表す言葉は「春一番」にかぎらず、いろいろある。先日「寒九の雨」という言葉を知った。大寒の日から九日目くらいだから、雪なら分かるが、雨だという。真冬でも命を潤す雨が、その頃に降ると、昔から云うらしい。表現があるということは、思わぬことではないということだ。不自然なのも自然なのだ。

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1月23日

前回は寒いと書いたが、このところどうにも温かい。墓地に風で落ちた枝を拾い歩いていたら、水仙が芽を出していた。ところで今日は、その墓地の一カ所が無縁になった。これまで何十年も、自分の父親の後妻さんの連れ子のお墓にお参りしてきたお婆ちゃんが、もう自分も年だからお墓参りできないというのだった。無縁塔にお骨を収め、墓地は片付けることにしたのである。寂しいことだが、むしろこれまでそうして守ってきてくださったことが奇特で素晴らしい。

1月13日

早朝の下弦の月に、雪が映える。また花は、ここ20年で初めて、境内の椿が元旦前に咲いた。まさに雪月花である。花それぞれに開花条件は違うようで、2年前のほうが梅は早かった。しかし今年はまだ蕾である。けっして温かいわけじゃない。このところは、風も強いし、むしろ寒い冬だ。しかし椿だけは、これまでになく早咲きだったのである。自然はやっぱり不思議で飽きない。人の使う理屈にはすぐ飽きるが、人間そのものは、どうにも飽きない。

1月1日

新年明けましておめでとうございます。
皆さんも穏やかな新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
今年は丁亥(ひのとい)という年回りになります。火は燃えて土を生むとされますが、燃えることで基礎を作る年だと、勝手に思うことにしました。さて、何に燃えるか、ということになりますが、やはり小説です。
なんだか、去年のお正月にもそんなことを書いていたように思いますが、、、、。
ともあれ、今年はイノシシの年ですから、やはり本来進むべき道をまっすぐ歩もうと思います。
以前、インドネシアに行ったとき、私の運転する車の前にいきなりイノシシが現れ、自分が追いかけられているものと錯覚して、とにかく真っ直ぐ真っ直ぐ逃げるので恐縮した覚えがあります。
あの思い込みの激しさは、無駄な消耗ではありましょうが、しかしなんとなく愛らしい動物だと思うのであります。
些か禅的ではないかもしれませんが、今年は思い込みに向かって進みます。

2007年1月1日  
 玄侑宗久 拝

ちなみにうちのお寺の掲示板には、「一々天真、一々明妙」と書きました。
思い込みを離れた眼に見える清々しい景色なのですが……。

思い込みを離れつつ、思い込みを続ける。これもアリでしょう。
皆さまにとりましても、本願に近づく年になりますように。

 再 拝

<追伸>
さっきはイノシシのイメージで書いてしまったが、この十二支に動物を当てはめたの は後漢の王充(おういつ)である。イノシシというのは、彼が勝手に当てはめた動物 だから、そんなに気にして逸ることもあるまい。調べてみたら十二支を使う国でも、 中国、韓国、台湾、モンゴルなどはイノシシだが、豚の年にしている国もある。チベット、タイ、ベトナム、ロシア、そしてベラルーシなどである。だから動物に拘る よりも、本来の「亥」の意味する「草木が枯れ果てて冬ごもりしている」状態こそ大 事かもしれない。「丁(ひのと)」も陰だから、今年はとことん隠って書きたいもの だ。根の充実を目指そう。(でも隠れないんですねぇ、これが。年頭から、とほほ)


2009年からの雪月花へ

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