うゐの奥山 第1回

みんな同い年

 「うゐの奥山」というタイトルで連載することになった。これはご承知のように、「いろは歌」に出てくる言葉である。
「いろは歌」は、もともと「夜叉説半偈」という死を説いた短いお経を訳したもの。当然、この歌も死について歌っている。訳者は不明だが、同じ音を二回使わず、ここまで見事な歌にしてしまったのは神業と言うしかない。平安時代後期と思われるが、当時の成熟した日本文化の秀華とも言えるだろう。
「色は匂へと散りぬるを我が世誰そ常ならむ有為の奥山けふ越えて浅き夢見し酔ひもせす」。
 ここで「有為の奥山」は、人生といった意味合いで使われている。歌の後半は死にゆく本人にとっての死の描写で、山を登るように有為の世界を生きてきたけれど、とうとう頂上を越えてしまい、「無為自然」の状態に突入したというのである。
 当時の人々、いや少なくともこの訳者は、老荘的な価値観をもち、有為よりも無為のほうがいいのだと思っているのは間違いない。そしてあらたに突入したその世界から顧みれば、この世での時間は「浅き夢」や「酔」った状態のようにも思える。しかし今や「無為自然」になり、世界は明らかに見えているのだから、今後は浅い夢も見ません、酔っぱらいもしませんと、死に行く本人が宣言しているのである。
 死んで目覚めるまえに、人は誰しも何度か目覚めと言える体験をするはずである。お釈迦さまは生前に目覚めてブッダ(大覚)になったわけだが、それほどでない目覚めは、凡人でも体験する。
 先日、百歳と五ヶ月という日野原重明先生と対談する機会があった。先生が、あと四、五年先まで講演の約束が入っているとおっしゃり、私は思わず笑ってしまった。はっとしたその直後、私だって同じじゃないか、と思った。二年後のことなど何の保証もないのに、講演の予約が入っている……。考えてみれば百歳の日野原先生と私と、どちらが先に山越えするのかは誰にも分からないのである。
 そうか、そうだった。博多の仙厓さんはそういえば晩年、よく「みんな同い年」と書いた。老少不定とはまさにそのこと。横一線なのだ。
 昨年起きた東日本大震災では、老いも若きも、二万人ちかい人々がいっぺんにいなくなってしまった。年齢に関係なく、一気に死に年を迎えてしまったのだ。
 死に年から見れば、たしかに「みんな同い年」なのかもしれない。しかし私たちは、いつまで経っても、死者はそのときの年で憶いだすし、憶いだすと、自分もその時の年齢に戻るような気がする。有為の奥山に入った無為の亀裂。浅い夢は「みんな同い年」を忘れるために見るのではないか。

2012/04/30 東京新聞ほか掲載

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