うゐの奥山 第3回

花御供

 標題の言葉をお聞きになったことがあるだろうか。「はなごくう」と訓む。原型は、おそらく光明皇后の次の歌の心だろう。

わがために花は手折らじされどただ三世の諸仏の前にささげん

 仏さまのためなら、なんとか花も身を捧げるだろう、そう言うのだが、しかし、花はむしろ恋人に捧げられたのが先だろうか。岡倉天心は『茶の本』のなかで「原始時代の男は、恋人にはじめて花輪を捧げることによって獣性を脱した」と書いている。またネアンデルタール人の遺跡からは、一面に花を敷き詰め、その上に埋葬したと思える遺体が見つかったため、彼らは葬送文化をもっていた、あるいは宗教を持っていたとさえ言われる。誰のためであれ、とにかく花を捧げることは、人間にしかできない文化なのだろう。
 こんな話を書きだしたのは、今年も満開の櫻に見送られて逝った人がいたからである。
 これまで、高齢の方を見送るときは、花吹雪と共に去るなんて、こんな仕合わせなことはないと思ってきたし、話してもきた。
 しかし今回は若かった。まだ還暦である。枕経をあげたご遺体には独り苦しんだ痕も感じられた。振り向くと、明るいガラス戸の向こうにはピンクの雲の如き満開のソメイヨシノ……。
 戒名には「散華」と入れ、五十歳を過ぎれば寿命なのだと自らも納得しようとした。しかしその死は、櫻の花のように命を終えたあとの安らかな散華とは思いにくかった。突然のくも膜下出血である。
 花には椿やノウゼンカズラなどのように、花じたいの寿命が尽きるまえに散る花もある。誰が始めたのかそれを水盤に浮かべ、まだ残る命を愛でることもある。しかしそんなことを思うと、未練がさらに募ってくる。
 私は岡倉天心の「花御供」についての一節を憶いだした。「花は人間のように臆病ではない。花によっては死を誇りとするものもある」。天心はすでに切腹した千利休のことを想っていたのだろう。
 しかし、そうなのだ。死者はすでに悩み苦しんではいない。花の景色も、束の間の娑婆の華やぎではないか。
 初めて花を活けたのは僧侶だったと言われる。まだそのまま生きられるはずの花を切り、それを「活ける」と表現するのだ。お花の宗匠たちは、その後で萎れた花を川に流したり、土に埋めたりしてその霊を弔うが、葬儀における故人も、やはり花、花御供ではないか。
 三十歳を少しすぎた息子さんは、父親の死が、まだ受け入れられないと挨拶した。しかし花は、そんなことに関係なく散るから花なのである。

2012/06/30 東京新聞ほか掲載

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