うゐの奥山 第11回

丘にあがった船

 久しぶりに気仙沼、女川、石巻などの被災地へ出かけてきた。各地ともすでにガレキと呼ばれた元の生活周辺の品々は片づけられ、ガランとした平原が印象的だった。
 なかでもとりわけ目立ったのが、気仙沼の元住宅地まで運ばれた巨大な船である。いわき船籍のその船は、長さも数十メートルあるだろう。津波によって信じられない場所まで運ばれ、今もほぼ垂直に立ち、支えまで施されている。あらぬ場所に侵入した船は各地で見られたが、今も片づけられていないのはこの船だけだという。
 地元では津波の凄絶さを記録するため、そのまま保存すべき、という人々もいるが、いやむしろ復興の妨げ、恐怖が蘇るし、亡くなった家族を憶いだすとして、片づけてほしいという人々もいる。
 気仙沼の復興屋台村の事務局長を務める小野寺雄志さんに話を聞いた。
「辛い体験が蘇る、というのは分かるんですが、船も被害者ですからねぇ」
 どうやら小野寺さんは、残すことに賛成のようだ。
 以前、ドイツの旧国会議事堂が、建築としては素晴らしい価値があるものの、誰もがそのバルコニーに立ったヒトラーを憶いだすという状況で、クリストというアーティストがなんと建物全体の梱包を実現した。一旦梱包されることで建物は生まれ変わり、人々も気持ちに区切りをつけて新たな目でその建物を見るという目論見だった。
 そんなことを私が話したら、小野寺さんがそう呟いたのである。
 なるほど、ヒトラーと津波は、同じように甚大な被害をもたらしたけれど、国会議事堂と残された船の立場は微妙に違う。建物は当時のヒトラーの拠り所でもあったわけだが、船のほうは単に流されてきた立場にすぎない。人はそれを見ても、津波の恐ろしさは思うものの、船に憎しみを募らせることはないだろう。
 そういえば、インドネシアでは船をそのまま残し、あまつさえツナミ記念館まで作って客を呼び込んでいる。どうなのだろう? 日本人、いや少なくとも東北人は、そこまでの逞しさじたいを、潔しとしないのだろうか?
 よくは分からないが、復興とはいえ、人の考え方はいろいろでそう簡単に事は進まない。平原と化した海岸近くの土地では、嵩上げしないと建物は建てられない。しかし土地の権利の問題などでまだまだ着工できないため、全体工事を待てない人々が、雪のなかでも自分の土地だけダンプを動かし、嵩上げ工事を急いでいた。
 多くの人々のもどかしさを、「丘にあがった船」が象徴しているようだった。尤も『方丈記』で鴨長明は、すぐに新しい建物に建て替える人々は、死者のこともすぐに忘れてしまう人だと書いている。もどかしさこそ、被災者たちの誠の証なのかもしれない。

2013/02/28 東京新聞ほか掲載

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