うゐの奥山 第35回

ミトコンドリアの秘策

 遙か古代に命を生みだした海の近くで、人類の直系の先祖である原核細胞は、異質な生命体ミトコンドリアに出会った。なにが異質かといえば、原核細胞は酸素が苦手で、細胞分裂を繰り返す。一方のミトコンドリアは酸素を好み、ほとんど分裂はしないのである。地球上の酸素濃度はこの頃約2%に達し、嫌気性の原核細胞が単独で生き続けるのは難しくなっていた。
 苦肉の策として両者は合体し、真核細胞となって共生する道を選んだ。この「共生説」はダーウィンの「適者生存説」からは信じられない考え方であったため、長く学会には認められなかった。
 しかしこうした現象は、じつは文化的な事柄においても起こっている。たとえば日本における仏教の受容もそうだ。外来の「仏」の流入により、在来の「カミ」が形を整え、対抗する形で共生していく。それはあたかもミトコンドリアとの合体により、従来の原核細胞が核膜を形成し、遺伝情報を守ろうとしたことに似ている。
 こんなことを思ったのは、今年一月七日にパリで起きた、シャルリエブド銃撃テロ事件のせいだ。編集会議の最中に闖入したアルジェリア系フランス人兄弟は、編集長はじめ十二人を殺した。フランスのみならず、各国がすぐに非難声明を出し、「反テロ」包囲網ともいえる動きが加速した。この暴挙が「表現の自由」や報道そのものを脅かし、けっして許されない行為なのは当然のことだ。しかし事件の背景をよくよく考えていくと、どうしても力による「テロ撲滅」だけで問題の根本が解消するとは思えない。
 フランスは二○○四年、イスラム教徒の女性が髪を覆うスカーフ(ヒジャブ)の公立学校での着用を禁じ、さらに一一年には広く公共の場で禁止した。確かに大家と店子の立場ではあるが、これは相当の屈辱だろう。また今回標的にされたシャルリエブドは政治的な風刺画で知られる週刊誌だが、もともとイスラム社会では人や動植物など具象物を絵に描くことを認めない。神の創造を模倣する行為として禁じ、だからこそアラベスクなど幾何学模様を発達させた。風刺の内容に拘わらず、具象画じたい考えられない行為なのである。
 過激派は決してイスラム社会の代表ではないが、イスラム社会への無理解がこのまま続けば過激派も生まれつづけるだろう。とうとう「日本人人質事件」まで起こってしまったが、事の本質は、むしろ常套化しつつある勝負の論理、いわばグローバリズムという人工的な「適者生存説」にあるような気がする。
 世界のムスリム人口は約十五・七億人。人口比ではアジア・太平洋地域が6割強を占めるが、欧米にも約四千三百万人以上が住んでいる。
 現在の人類は、ミトコンドリアなしでは一日も生きられないわけだが、その共生がいかなる秘策によって実現したのか、今こそミトコンドリアに聴いてみたい。いや、知っているのは原核細胞のほうか……。

2015/02/28 東京新聞ほか掲載

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