うゐの奥山 第38回

一文銭の祈り

 昨年五月から始まった本堂の改修工事は、順調に進んで銅屋根が概ね葺かれた。四月十日、屋根を覆っていた覆(おお)いがはずされ、キラキラ輝く銅板の屋根が現れた。折しも境内では櫻が咲きだし、櫻と銅屋根との競演である。
 現場棟梁である加藤工匠の高橋さんは「最高の景色」だと喜ぶが、キラキラ光る銅板はどうも落ち着かない。そのままでは日本のどんな景色にも似合いそうにないのだ。きっと高橋さんは、すでにくすんだ色合いを見据えているのだろうと思う。
 ところで一ヶ月ほどまえ、本堂の礎石に載った何本かの柱の底部を切り、根継ぎする作業が行なわれていた。二百年余りの間に三本の柱の底が腐ってしまい、補強が必要だったのである。そしてそのとき、柱の底が不思議な緑色に染まっていることに加藤工匠の大工さん達は驚いた。切り取った三本の柱の底と礎石との間には、緑青をふいた寛永通宝が一枚ずつ挟まっていたのである。
 三人の大工さんたちの話では、縁の下の七十数本の束(つか)の下にも、必ずや寛永通宝が挟まっているだろうという。いったい何のために挟み込んだのか、初めは分からず、ただ驚くばかりだった。しかしよく見ると、緑青に染まった木部だけは腐っていない。なるほどこれを知っていたのかと、先人の知恵に唸ってしまったのである。
 町の大工さんに聞いた話では、今でもシロアリ防護のために、柱や束の下に銅板を挟み込むことはあるらしい。またアオミドロが増えた池などに銅板を浸けると、みるみる水が澄んでくるとも聞く。やはり銅から出る緑青の、防虫・防腐効果なのだろうか。
 調べてみると、寛永通宝には銅貨ばかりでなく、真鍮製や鉄製のものもあったようだ。通貨として一番価値が高いのは真鍮製で、裏に波の描かれたものが四文、それ以外は一文銭が多かったらしい。
 けっして高額ではないが、本堂のすべての柱や束の下、礎石との間に、お金が挟んであるというのも何となくいい。銅板ではなく、それがお金であることにも、祈りのような気分を感じないだろうか。
 修復が終わったというので、私は三人の大工さんたちに訊いてみた。「あの寛永通宝はどうしました?」「木口にめり込んだまま、とってありますよ」「じゃあ、根継ぎした木と礎石の間には?」「五十円玉と五円玉を入れときました」「え?」
 新たに寛永通宝を買い求めるのは難しいにしても、はたして白銅製の五十円や黄銅製の五円硬貨で同じ効き目があるものだろうか。
 銅板の切れ端を一緒に入れようかとも思ったが、金属の相性を懸念して硬貨だけにしたのだと高橋さんは言う。「先が見通せるお金」が利いたのかどうかは、また二百年後の人々に調べてもらおう。

2015/05/31 東京新聞ほか掲載

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