うゐの奥山 第45回

南都隣山会

 このところ、奈良には毎年のようにお邪魔している。
 最初のご縁は小説『阿修羅』(講談社、二○○九年、十月刊行)を書き下ろした直後。ちょうど同じ年に上野の東京国立博物館で「阿修羅展」が催されたこともあり、事前に刊行のお許しをいただくべきだろうと考え、興福寺の多川俊映(たがわしゅんえい)貫首さまに原稿を送ったのである。するとまもなく直筆のお便りが届き、「同じ仏教徒どうし、信用しています」というありがたいお返事であった。
 その後は南都二六会という奈良仏教寺院の親睦団体に講演で呼ばれたり、あるいは奈良トヨタ主催の行事に複数回招かれたりで、すっかり“奈良漬け”になりつつある。
 お邪魔するたび、まるでインドのサールナートのように鹿と共生する古都が好ましくなる。もともとは茨城県の鹿島神宮から連れてきた鹿だという話には驚いたが、もっと驚いたのは鹿の刑務所の存在である。一度人間の畑の食べ物を味わった鹿は、必ずまた同じ罪を繰り返すらしく、捕まえると容赦なく刑務所に入れ、一生出さないというのだ。六大寺の貫首さまの就任のときなど、恩赦特赦はないものかと訊いてみたが、どうやらないらしい。
 それはともかく、今年も十一月九日に奈良にお邪魔してきた。今回は南都隣山会のお招きで、私が理事長を務める「たまきはる福島基金」に、六大寺で集まった義援金を授与してくださったのである。
 隣山会とは、奈良市の東大寺、興福寺、西大寺、唐招提寺、薬師寺、および斑鳩町の法隆寺の六大寺で構成され、今回は東大寺を会場に、各寺の貫首、副貫首、執事長、別当などと呼ばれる重鎮が集まってくださった。信じられないほどゴージャスな顔ぶれである。
 しかも時は紅葉の真っ盛り。鹿に紅葉なんて、まるで花札ではないか。あちこちに花札が舞うような麗しい東大寺境内であった。
 私のほかに、義援金は宮城県仙台市の葬祭業「清月記」の菅原裕典社長が理事長を務める「JETOみやぎ」、および日本赤十字社奈良県支部にも手渡された。
 儀式は東大寺大仏殿で催され、同寺の筒井寛昭別当からの授与式もそこで行なわれたのだが、大仏を見上げる観光客たちが大勢いて、拝んだり写真を撮ったりしている。儀式が行なわれたのは、坐を組んだ毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)のちょうど腿の上の舞台。こんな経験は二度とできない、そう思うだけで嬉しかった。
 南都仏教の方々の袈裟は、加行(けぎょう)袈裟または襷(たすき)袈裟などと呼ばれ、紐部を左肩に懸け、右脇へ襷がけに下がっている。なんとなく知的で行動的にも見えるのは、やはりどなたも碩学修道であるせいだろうか。
 袈裟までありがたく見える晩秋の奈良で、私は「たまきはる福島基金」の活動継続を誓ったのである。

2015/12/31 東京新聞ほか掲載

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