うゐの奥山 第51回

あさ

 昔、谷岡ヤスジ氏は「アサーッ」または「全国的にアサーッ」などと呼びかける漫画で人気を博した。NHKの連続テレビ小説では昨年から、『あさが来た』がずいぶん高視聴率だったらしい。特別両者に関係があるわけではないが、このところ「あさ」についていろいろ考えてしまったのである。
 まず「ASA」という音だが、まるで一気に目と口を開くような、日本の朝らしい音ではないか。しかも「S」音のせいか風も感じる。日本人は昔から朝起きると布団を畳んだり干したりした。ぐだぐだ寝かせてはくれない迫力とその動きによる風が、すでに「ASA」の音そのものに宿っているのである。
 それに比べると英語の「morning」の何と睡そうなことか。ほぼ同音の「mourning」は悲嘆を意味するのだから無理もない。しばらくは起きてきそうにないが、そっとしておくしかないのだろう。
 ところで「朝政」とか「朝野」など、朝を「まつりごと」の意味で使うのは何故なのか。調べてみると古代中国の殷(いん)では、日の出の時に「朝日(ちょうじつ)の礼」というのを行ない、そこで政治上の大事を決定したらしい。「まつりごと(政)」は朝と、決まっていたのである。
 そういえば私の場合も、夜には妄想を逞しくして文章をどんどん書くのだが、そのままの原稿を送ることはまずない。朝の澄明な空気と頭のコンディションのなかでもう一度読み直し、たいていはたっぷり修正してから出すのである。荘子は一種の悟りの境地を「朝徹」と表現したが、やはり朝にはなにか霊妙な力があるのだろうか。
 今朝六時半、電話が鳴った。この時間の電話はまず檀家さんの誰かが亡くなったに違いない、そう思って出てみると、やはりそうだった。同級生の父親で、お寺の総代さんもしてくださった朝好(ともよし)さんが急に亡くなったのだ。
 じつは二日前に亡くなった女性の名前も「アサ」さんだった。「あさ」についていろいろ考えてしまったのはそういうわけなのだが、同級生である女性は電話口で泣いていた。病院の薬剤師をしている彼女は昔から純情そのものだったし、父親が亡くなって泣くのはべつに不思議ではない。しかしどうも泣き方が激しい、というか深い気がした。あとで「お知らせ」に来てもらい、話を伺うと、案の定、彼女が少し目を離していた間に偶々父親が亡くなり、彼女はそのことに自責の念を感じて夜中から眠っていなかったのである。病院で死亡が確認されたのは夜の十一時五十分。旦那さんと一緒にお寺に来たときも彼女の目は真っ赤だった。「あさ」が日本の朝らしい力を発揮するのは、眠って起きたあとの朝だけなのだと知った。
 しかし「百箇日」を「百朝忌」とも呼ぶように、人は朝を重ねて確実に悲しみを薄めていく。漢字の「朝」は「月」が半分を占めるが、やがて「日」が「草」を耀かせる。

2016/06/30 東京新聞ほか掲載

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