うゐの奥山 第53回

ほの三か月

 七月になると、なぜか出羽三山が憶いだされる。一度しか行ったことはないが、その体験が鮮烈だったのである。
 湯殿山、月山、羽黒山それぞれに特徴があり、なかなか一言では表現できないが、そこには古代から続く神仏習合がある。いや、分離した今ではそんな言い方になるが、これこそ古代の渾然とした信仰なのだろう。地域の出羽三山講中に混じり、二泊三日のバス旅行。それじたいも楽しいが、見るもの聞くもの不思議で面白かった。
 印象が強いので最初に行ったように思えるのだが、湯殿山の赤い土がまず浮かんでくる。白装束の神主のような人が現れ、いきなり「般若心経」を唱えだしたのには驚いた。しかも手には神道の祭祀で用いられる御幣のようなものを持ち、それを「梵天」と呼ぶ。神なのか仏なのかはっきりしてほしいと思うのは、私が近代の考え方に染まってしまったせいなのか……。堅固な足許が揺らぐような動揺を感じた。
 やがて先達(案内人)さんに率いられ、雪の残る山道を登りだす。夏山の空と足許の雪のコントラストに感激も一入(ひとしお)だが、あまりに速く歩く先達さんに岩だらけの道を歩くコツを教わった。それによれば「どの岩も、お坊さんの頭だと思いなさい」とのこと。「妙な場所を踏めばお坊さんの首の骨が折れるでしょ」「どの岩も、ここなら大丈夫って言ってますから、そこ踏んでください」。ずいぶん荒っぽい案内とは思ったが、とにかく言われたとおりそのことばかり気にして歩くと、全身が自然に踊るようにうねってくる。歩幅や足を置く角度もまちまちになるから、パターン化せず、意識も集中しつづけるのだ。
 ようやく月山の頂上に着くと、人型の紙を渡され、自分の体の悪い部分を撫でてから、小さな小川に流すようにと言われた。「それじゃ道教じゃないか」と思うが、「道教でなにか問題でも?」と、谺のような反問が先達さんの笑顔から届く。
 羽黒神社のほうへ降りていくと、恐ろしく立派な五重塔が鬱蒼たる林の中に佇んでいる。いったいどうやってここまで材料を運び、造りあげたものか、不思議で仕方ないが、もう不思議だらけで頭がうまくはたらかない。投宿先は先達さんの住む宿坊。真言宗の寺院だが、内陣に「蛇」や「神様」像まで祀られていて思わず笑った。
 修学旅行のように楽しい夜、トイレの窓から三日月が見え、思わず芭蕉の句が憶いだされる。

涼しさやほの三か月の羽黒山

 この「ほの」が、私は好きだ。神と仏も、仏教と道教も、近代が無理に引きはがす以前は「ほの」としか識別できなかったのだろう。
 どういうわけかこの旅のあと、私の体は絶好調が十日以上続いた。お坊さんの頭踏みの功徳か、それとも「ほの三か月」の御利益か。

2016/08/31 東京新聞ほか掲載

タグ: ,

トップへ戻ります