うゐの奥山 第55回

鎖国と和算

 私の住む三春町で、最近和算の額が話題になっている。和算とは、江戸時代にこの国で独自に発達した数学だが、町内の神社仏閣から、和算額と呼ばれる絵馬のような額がたくさん見つかっているのである。
 和算といえば、関孝和が有名だし、冲方丁(うぶかたとう)氏の小説『天地明察』は私も夢中になって読んだ。しかし東北地方には、関流とはまた違った和算が発達した。その中心人物が三春藩校「明徳堂」で算学を教えた佐久間庸軒だったのである。
 二千人を超えるその弟子たちの中には、むろん武士の子弟が多かったわけだが、農民や商人もいた。そこでは身分や立場を超え、とにかく和算の難問を解くことだけを競い合った。農民や商人は仕事を終えてから庸軒の私塾に通い、そして朝までに数里(一里は約四キロ)もの道のりを歩いて戻ったというから驚く。いったいその情熱は、どこから湧き出てきたのだろう。
 試しに二○○九年に三春厳島神社から発見された和算額の術文(問題)をご紹介しよう。「今、蛇有り。其の長きこと十尺有り。是れ『の』の字の形に巻くとき者(は)、其の中径何程なるや(但し円周率には三・一六を用いよ)」。社殿の格天井(ごうてんじょう)には多くの絵が描かれているため、松の枝下でその幹と桜の花を巻き込む大蛇の絵が、まさか和算額とは思わなかったらしい。「字古内(あざふるうち) 渡辺市郎」との記名があり、額には答えも書かれているが、こうして難問を解くと算額の制作を依頼し、解読を神仏に感謝しつつ自分の業績をも世に知らしめたのである。
 時には自分の考えた難問だけを描いた算額を奉納し、ライバルたちに挑戦状を突きつけることもあった。こうなると、神社仏閣はもはや知的格闘場と言ってもいいだろう。
 こうした神社仏閣における身分を超えた交流や知的訓練が、やがてこの町に芽生えた自由民権運動なども準備したのではないだろうか。
 この額が奉納されたのは明治十八年。国会(旧帝国議会)の開設は五年後になるが、この年の年末に初めての第一次伊藤博文内閣が成立している。年表を見ると、同じ年に関西地方に大洪水があって大阪のほぼ全ての橋が流され、また清国からの独立を願う朝鮮半島の、日本もすっかり巻き込んだクーデター、甲申(こうしん)事変がようやく天津条約で終結する。
 天災も、日朝あるいは日中の緊張関係も、昔とあまり変わっていないような気はするが、当時はまだ鎖国時代に爛熟した学問的情熱の余燼がくすぶっていたのが大きな違いだろうか。
 純粋に和算の術文のために描かれた大蛇が、今は習近平とも金正恩(キムジョンウン)とも朴槿恵(パククネ)とも見える。むろん安倍総理も相手からはそう見られているのだろうが、ともあれ今更鎖国はできない以上、皆で和算に没頭できるような平安を夢見るばかりだ。それとももう一度、鎖国してみます?

2016/10/31 東京新聞ほか掲載

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