うゐの奥山 第83回

鱗 敷

 お寺の改修工事も終盤にはいり、いよいよ境内の敷石を直しはじめた。
 禅寺の敷石の基本形は「鱗敷(うろこじき)」といい、正方形の板石の角と角とを突き合わせて置く。歩幅が合わないと歩きにくいため、先代住職(つまり私の父)が改め、辺どうしを合わせて隙間なく敷いてしまった。
 それなら無意識でも歩けるし、草も生えにくい。人に優しいやり方であることは確かだが、なんとなく緊張感がないし、土が見えないのも寂しい。私はこの機会に元々の形に戻したかったのである。
 鱗敷に直した石の上を歩いてみると、歩いていることがはっきり意識される。なるほどこれは「経行(きんひん)」あるいは「歩行瞑想」なのだ。歩きながら考え事するのは難しいし、意識は歩行じたいに自然に向かっていく。おそらくそういうつもりで、鱗敷は禅寺に好まれたのだろう。
 歩行瞑想的な意味合いを残したまま、たぶん小堀遠州の敷石は歩きやすい敷き詰め型と合体させた。つまり、鱗敷の石の間に角と辺を出逢わせる感じで、正方形の石を交互に挟み込んだのである。これは「いろこ敷」と呼ばれ、南禅寺の塔頭金地院(こんちいん)の庭が有名である。なぜ「いろこ」と呼ぶのかは知らないが、これだと鱗敷よりは歩きやすく、石の変化も楽しめる。歩行の意識も残っているはずである。
 さて、ともかくも鱗敷に戻した石組みを眺めていると、私はその隙間に杉苔を植えたくなってきた。以前から境内に草を生やし、苔を植える作業はしていたのだが、去年墓地の土手に畳半畳くらい杉苔が自生しているのを見つけ、目をつけていたのである。
 幸い今年の梅雨入りは関東並みに早かった。私は珍しくネットで天気予報を調べ、梅雨の合間に檀家さん二人に手伝ってもらって杉苔を植えた。予報どおり翌日は雨、その翌日も雨。雨がこんなに嬉しかったのは久しぶりのことだ。毎日変化する生きものを眺めるのはじつに楽しいものである。最近は杉苔を売っている業者もあるようだが、じわじわ増える喜びのほうが楽しみは遙かに大きい。
 ところで今回の敷石には、以前から境内に使われていた花崗岩のほかに、石屋さんからいただいた大量の江持石(えもちいし)も使った。白河市のとある神社で石段を新調した際、四百年前の古い石は要らないから処分してほしいと言われたそうなのである。
 四百年前に切り出した石と聞けば、石屋さんも勿体ないと思うから個人的な土地に置いてあったらしい。しかし実際にはなかなか使う機会もなく、女房や私が興味を示すと「使ってもらえるなら却って嬉しい」と、無料で分けてくれたのである。
 江持石は須賀川の江持地区で取れる柔らかい石だ。真・行・草で分ければ花崗岩は真、江持石は行か草だろう。些かカジュアルな使い方が相応しい。鱗敷はむろん元々の花崗岩で敷いた。水汲み場の周囲にその古い江持石を配置していると、なぜか戦国時代の領土争いなどを想像していた。
 折しも海上保安庁は、尖閣諸島周辺で領海侵入を繰り返す中国への対応強化のため、鹿児島港に特大巡視船三隻を配備することを決めた。今後は石垣島にも配備するという。
 どうもこのところ、各国が軍備を強化し、特に南シナ海などの島嶼部の取り込みに躍起である。私が生まれてからこのかた、これほどあからさまに軍備を増強している時代はなかったように思う。
 庭石がふいに領土の境界線にも見えてくる。そう思って見れば、鱗敷は最も戦略的。いろこ敷から敷き詰め型に向かうほど、平和で安定的に思えてくる。戦国武将を指南した禅僧たちの思いは謎だが、これも四百年前の石が生んだ「邯鄲の夢」だろうか。

2019/07 東京新聞ほか掲載

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