うゐの奥山 第78回

さようなら

 日本人の挨拶はとても味わい深いと思う。「こんにちは」では昨日までと違う今日が期待され、今日こそ心機一転また出直すことが促される。仏教的には「寂滅現前」で、昨日までの自分を寂滅させ、新たに生まれ直すのである。震災後は特にこれが身にしみ、悲しみから立ち直った人も多かったはずである。
 「こんばんは」は、昼間とはまた気分を変えていいということだろう。外国人から見ると、日本人の昼と夜の姿は別人にも見えるらしい。ポーランド生まれでカナダ育ちのアメリカ人、ズビグネフ・ブレジンスキーは、日本での滞在経験から『ひよわな花 日本』を書いたが、日本人は昼はプロテスタントの如く、夜は地中海人のようだと述べている。連夜、よほど楽しい席を経験したのではないだろうか。
 さてそれでは、別れの挨拶「さようなら」はどうか。
 私は「こんにちは」や「こんばんは」も珍しくて好きだが、「さようなら」が一番せつなく美しいと感じる。
 本当は、別れたくないのである。このままずっと一緒にいたいのだ。しかし相手に事情を聞いてみると、「左様なら」と諒解せざるをえない。たとえ心からは諒解できなかったとしても、相手の気持ちや事情を斟酌し、「左様なら」仕方ない、別れるしかないと、諦めるのではないだろうか。
 「さようなら」はたぶん声のトーンが落ち、それでも落胆が露出しない程度に精いっぱい気持ちを保ちながら言った言葉ではないだろうか。
 思えば私の仕事は、「さようなら」の連続である。
 先日は満で二十四歳になってまもない青年を見送った。山が好きでわざわざ日本アルプスに近い信州大学に進み、山岳部に所属してあちこちの山を渉猟した。初孫だったため、祖父母にとても可愛がられ、祖父に連れていってもらった渓流釣りの影響で山好きになったらしい。大学卒業後は希望通り裁判所の事務官になり、この十一月には上級職である書記官の試験に合格したばかりだった。
 その報告がてら十一月の連休には帰省して祖母を温泉に連れていき、妹の相談にも親身になり、台所の母の仕事も手伝っていたらしい。
 独り住まいのアパートに戻り、その晩に好きな夜のドライブに出かけ、自宅前にはなんとか戻ったものの、車の中で心筋梗塞を起こした。検屍の結果、死亡推定時刻は朝五時頃だったようだが、実家に戻ってきた彼は、つい二、三日前と同じ寝顔だったという。ただ何を言っても答えてはくれず、もはや動くこともなかった。
 葬儀では笑顔の遺影に向き合い、百人以上の同級生や山岳部仲間が見守っていたが、遺族にも友人にも「左様なら」と納得できる事情などあるはずもない。
 これは自然災害と一緒ではないか。台風や地震、津波の被害と同じように、納得などできないまま受け入れるしかない。仕方ないと受け入れ、「こんにちは」の心意気で明日からまた生きていくしかないのである。
 私は戒名に「青山」と「慈光」という文字を入れた。好きだった遠くの青い山は、「人間到る処青山あり」の「青山」でもある。つまり志を立てて故郷を出た青年が、死んでもいいと思える場所だが、彼はいち早くそこへ到り、優しい光をこれからずっと注ぎ続けてくれることだろう。
 むろん、そんなことで「左様なら」とはきっと思えない。それはわかっていても、別れなくてはならないのだから仕方ないではないか。 「冬山は寒くはないか慣れてるか 項を立てて山越えてゆけ」
 私は自分自身を諦めさせるつもりで「喝」と大声で叫んだ。

2019/01/30 東京新聞ほか掲載

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