エッセイ
道尾秀介 光媒の花 文庫版解説 「長い目」の作家の祈り
(2012/10/19 光媒の花 文庫版(集英社)掲載)
初めて道尾さんに会ったのは、池袋だった。そのとき彼は私の講演を聴きにきた聴衆の一人で、サイン会に並んでくれた挙げ句、「ミステリーを書いています」などと控えめな自己紹介をした。 正直なところ、私はまだ彼の名前を知らなか […]
仕事をしたり笑ったり
(2012/09/30 イーハトーブセンター会報 第45号掲載)
宮澤賢治の一生は、二つの大災害に挟まれた三十七年間、と見ることもできる。生まれる二ヵ月まえに起きたのが明治三陸大地震(津波)、そして亡くなる半年まえに起きたのが昭和三陸大地震(津波)である。 生まれる以前のことはとも […]
日曜論壇 第48回 全国の線量調査結果
(2012/09/23 福島民報掲載)
福島県内各地の放射線量については、県民なら大抵は把握している。しかしそれが全国各地に比べてどうなのか、となると、皆目分からない人が多い。 どうしてか知らないが、文科省などは全国各地の放射線量を発表しない。そこで三春実 […]
守られた時間と、天恵
(2012/08/26 荘内日報掲載)
世の中では「読書の秋」と言われる。しかし「食欲の秋」でもあり「スポーツの秋」でもあり、また各種イヴェントも秋には目白押しである。忙しすぎて、本など読んでいられないのではないか。 私のなかでは、やはりまとまった読書がで […]
日曜論壇 第47回 教育委員会という「飾り」
(2012/07/22 福島民報掲載)
このところ、滋賀県大津市の中二少年の自殺をめぐり、報道が盛んである。「いじめ」の有無について、教職員たちが話し合った形跡もあるが、実効のある予防策を講じることはできなかった。 こうした問題が起きると、いつも教育委員会 […]
暮らしの中の宗教
(2012/06/30 弘道 第1078号掲載)
今回の特集テーマそのもののようなタイトルである。 「生活」を「暮らし」に変えたのは私の単なる趣味だが、私が書く以上それは「暮らしの中の『仏教』」ではないか、という疑念をもたれるかもしれない。 それについては、日本人 […]
日曜論壇 第46回 子どもの日の祈り
(2012/05/20 福島民報掲載)
いま、福島県内は、放射能についての話が率直にできない状態だと感じる。誰もがある程度の知識ですでに態度を決定し、それに反する新たな情報には耳を貸さないのである。 それは新聞やテレビなどのメディアも同じである。さまざまな […]
日曜論壇 第45回 悲しみの底
(2012/03/18 福島民報掲載)
未曽有の大震災から一年が経ち、各地で追悼の儀式が営まれた。実に多くの人々があらためて悲しみを深くし、それでも新たな一歩を踏みだそうとしているわけだが、中にはそうできない人々もいる。行方不明者が今も3000人以上いること […]
死して生まれよ ~無常と「もののあはれ」~
(2012/03/03 ブッダの言葉掲載)
「仏教の三宝印の一つ“諸行無常”。この“無常”は、とりわけ日本で発達した世界観である」――と語るのは、福島県で生まれ育った臨済宗住職であり、芥川賞作家でもある玄侑宗久氏。国難を迎えた現代日本にあって、東日本大震災復興構想 […]
もう、理屈ではなく
(2012/03 いまこそ私は原発に反対します。掲載)
原発をどう思うのか。その問題に、理屈は要らなくなった。理屈ぬきに、駄目である。 まるで身内や恋人を徴兵で取られようとする女性のような物言いだと思われるかもしれない。「君、死にたまふことなかれ」与謝野晶子の文章にも、感 […]
福島・三春町だより 風化
(2012/02 NHKカルチャーメンバーズ倶楽部(NHK文化センター機関誌)掲載)
世の中にはじつにさまざまな「風化」がある。長年の風雪で崖がなだらかになり、川の石が丸みをおび、あるいは作りたての仏像が数百年経って味わい深くなったりする。それによって我々の祖先たちは、「わび」や「さび」などの新たな美意 […]
日曜論壇 第44回 ダルマの一文字
(2012/01/15 福島民報掲載)
巨大なダルマの腹にその年の希望の一字を入れる行事も今年で3年目になる。 京都・清水寺の貫主さまが一年を振り返って揮毫(きごう)されるのに対し、こちらは新年の希望を込める。もともと「正月」とは禅寺の「修正会(しゅしょう […]