30歳 男の転機 人生の分水嶺での決断

転機とは回帰である。

物が見えるのは、その物自体が絶え間なく変化しているから。一瞬一瞬がすべて無数の縁のつながりであり、転機なのだ。

 『三十にして立つ』という孔子(こうし)の言葉があるせいか、30歳になったら見識を持ち、独立しなければならないと思いがちである。だが、臨済宗の僧侶で、芥川(あくたがわ)賞作家の玄侑宗久さん(49)は、転機を迎えたいと思うことの危険性を説くことから始めた。
 「今、目的意識を持つことが重要視されすぎています。自分で決めた目標にしばられ、かえって自分を苦しめている。『三十にして立つ』の前の言葉は、『我十五にして学に志』。孔子は30歳で自分の原点に回帰すると言いたかったのではないでしょうか。東洋的な人生観には、源に戻るという回帰の思想があると思います。反対に、西洋的な人生観は進歩の思想で、自分が経験したことのないところに向かおうとしますから、やりがいはあるかもしれませんが、同時に危険も伴います。だから、東洋的な回帰の思想を持っていたほうが、スムーズに転機を迎えられると思います」
 すべては無常。一瞬たりとも同じものは存在しないというのが、仏教の考え方。
 「同じような状況なのに、前回とまったく違う解釈ができる、そういう物の見方の変化のほうが、はるかに大きな転機です」

人生も方便だと思え

 必要不可欠だと思っていたものの大部分は幻想だと気づくことが、今の30代には必要ではないかと、玄侑さんは説く。
 「たとえば、今月の目標を100にするか110にするか1カ月迷ったとします。そして頑張って110と決めた結果105しか達成できないと、自分を責めてしまう。けれど、1カ月前に戻れば、100だってよかったはずなんです。『知足は第一の富なり』と、満足したっていいじゃないですか。だから、私は、目の前とはるか先の目標だけを立てて、中間の目標は立てません」
 玄侑さんが言うところの、中間の目標とは、課長になるとか、転職して年収アップするとか、そのために、何か無理をしなければならない目標のこと。
 「いつやめてもいいということをやっているときに、人は幸せを感じられると思うんです。20代は全身全霊を傾けて、自分は何者なのかを規定しようとしますが、結局は、限られた時間と空間の<役>を生きているだけ。そのことに気づくのが、ちょうど30歳ぐらいなんですよ」
 会社にいる私、家にいる私、コンサートに行く私。それぞれ、その瞬間の役を演じている。また、役から別の役に変わるときであっても、転機と言える。
 「私は方便という言葉をよく使います。方便というと、ずるいことのように思えるけど、けっしてそうではない。役を演じているという意識です。だから、人生も方便だと思っていれば、その時々でうまくいかないことはあるけど、<私>の全体が決定的に否定されることはない。こうした役に浸りきると、遊びの境地になって、心から楽しむことができるようになるものなのです」

2006/03/20 AERA掲載

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