仙厓
無常と循環
(エッセイ・
2023/7/1 )
仙厓 「滝図自画賛」 紙本墨画 一幅 136.2×30.2 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と『方 […]
「渋柿」時代の仙厓義梵―洒脱以前の身心行脚―
(エッセイ・
2022/7/25 )
はじめに 通常、仙厓義梵(せんがいぎぼん・一七五○~一八三七)といえば、書画に長けた洒脱(しゃだつ)な禅僧として知られる。もっと言えば、四十歳で博多聖福寺の住職になってからの、「博多の仙厓さん」としてである。 天保八 […]
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(エッセイ・
2020/12/28 )
今回からこの欄をいただき、駄文を綴ることになった。総タイトルは「天真を養う」だが、主に養生や呼吸、禅、瞑想、書道、あるいは日常茶飯事なども話題にしながら、命とのつきあい方を考えてみたい。 この言葉、元々は「虚懐天真を […]
文化交流展 特別展示 白隠さんと仙厓さん
(イベント・
2017/12/11 )
平成29年(2017)に白隠さんの250年遠諱(おんき)を迎えることを記念して、九州に遺る白隠さんと仙厓さんの代表的な禅画や墨蹟をご覧いただき、筆と墨を用いてそれぞれが描き表わそうとした、禅のこころとかたちが紹介されてい […]
「往く」のではなく「還る」
(エッセイ・
2016/7/18 )
臨済宗僧侶という立場上、特定の死生観を奉じていると思われるかもしれないが、むしろ逆である。つまり、多くの人々に戒名をつけ、引導を渡すことを仕事にしているため、故人それぞれの人生上のテーマを探し、それを肯定しなくてはなら […]