原発
寝耳に処理水
(エッセイ・
2021/5/26 )
最近、政府が会議を開く以前に結論を決めているケースが目につく。「緊急事態宣言の解除」も専門家に諮ると言いながら、事前に「決定する見通し」と報道される。専門家をコケにしたこのやり方、いや、コケにされても怒らない専門家ばか […]
光と影の両面 理解を共有
(インタビュー・
2020/3/4 )
2020年1月11日(土) 朝日新聞オピニオン欄「復興とは何でしょうか 玄侑宗久さんと『共に考えよう』」にて募ったご意見と玄侑のコメントが、2020年2月29日(土)の朝日新聞「声」欄に掲載されました。玄侑のコメントを掲 […]
あはれから無常への9年 危機を憶いださねばならない理由
(エッセイ・
2020/2/12 )
震災から9年が経とうとする今、あらためて震災以後の時間を振り返ってみたい。思えばこの火山列島に住む人々は、長い歴史のなかで多くの災害に遭ってきた。『方丈記』にも感じることだが、災害の多い境遇だからこそ培われた日本人なら […]
復興とは何でしょうか 玄侑宗久さんと「共に考えよう」
(インタビュー・
2020/1/15 )
東京電力福島第一原発の事故で、多くの福島県民がさまざまな形で被災しました。なかでも子供・若者を支援したいと、「たまきはる福島基金」を立ち上げ、理事長になりました。「たまきはる」は万葉の「いのち」の枕ことばです。ドイツか […]
烏賊と原発
(エッセイ・
2019/10/7 )
私は六十三歳だが、近ごろ驚くほど体質が変わったような気がする。何より好きじゃなかった烏賊(いか)が食べられるようになり、いやむしろ旨(うま)いとさえ思うようになった。どこか深いところで宿年の拘(こだわ)りが解けたのだろ […]
「視標」東京五輪あと500日
(エッセイ・
2019/3/12 )
オリンピックと「その他」 現世を忘れさせる祭か 2020年7月の東京五輪開幕まで、12日であと500日。大会組織委員会は聖火リレーを福島県から始めるなど、東日本大震災の復興に寄与する五輪をうたう。では被災県民の心情は- […]
ネットとキノコ
(エッセイ・
2018/11/25 )
裏社会、というと、普通はヤクザやマフィアの世界を想うことだろう。しかしここで私が言いたいのは「ネット社会」のことである。最近はバッシングといえば自ずとネット上のことを想像する。いじめの多くもネットを介して行なわれている […]
「たまきはる福島基金」の今
(エッセイ・
2018/6/10 )
先日、「たまきはる福島基金」の理事会兼総会を郡山で開催した。今年で七年目に入る同基金の活動などを紹介したい。 もともとこの活動は、東日本大震災による甚大な被害を受けた市町村の、子供や若者たちを後押しするような活動を支 […]
毎日新聞に伊藤智永さんのコラム「時の在りか 愛とは被曝し合うこと」掲載
(おしらせ・
2018/3/6 )
3月3日の毎日新聞に伊藤智永さんのコラム「時の在りか 愛とは被曝し合うこと」が掲載されています。 […]
民主主義の赤字
(エッセイ・
2017/12/3 )
今朝もまた、ミサイルが飛んだらしい(十一月二十九日)。午前四時まえのことで、全国瞬時警報(Jアラート)も鳴らなかったから、知らない人も多いようだ。 青森県の漁師さんたちは相当緊張しただろうが、殆んどは「え? そうなの […]
第三者の「推認」
(エッセイ・
2016/7/10 )
このところ、第三者委員会というのが流行っている。東京都知事だった舛添要一さんで有名になった感があるが、じつはその前の猪瀬直樹知事の問題のときも、また小渕優子元経産大臣の会計処理問題でも活躍した。 舛添知事のときは、「 […]
福島民友にインタビュー「5年の歴史」編へ識者の意見【番外編 下】掲載
(おしらせ・
2016/6/24 )
2016年6月22日の福島民友にインタビュー「『5年の歴史』編へ識者の意見【番外編 下】」が掲載されています。 […]