エッセイ
「待つ」ということ
(2024/07 『紫野』65号(お盆号)(臨済宗大本山大徳寺)掲載)
このところ通信手段が発達し、「待つ」必要がなくなってきた。と言えば、便利で素晴らしい世の中のようだが、逆に言えば人がどんどん待てなくなっている、ということでもある。 昔の手紙なら返事が届くまで十日ほどは待てた。しかし […]
稲垣えみ子著『寂しい生活』 文庫版解説 「寂滅為楽」とその後
(2024/07/11 『寂しい生活』稲垣えみ子 解説掲載)
ご本人も仰(おっしゃ)るように、この本は大いなる「冒険譚(ぼうけんたん)」である。読み始めたらそう簡単にはやめられない。私の場合は途中お葬式が二件あったので中断したが、ヘタをすると親の死に目に会えない可能性もある。危険 […]
日曜論壇 第116回 ソーラーパネルと熊
(2024/06/30 福島民報掲載)
ここ数年、町場での熊の出没が激増している。環境省によれば、昨年度の熊による人的被害は、十九道府県で計一九八件、二一九人で、統計のある二〇〇六年以降最多だった。 北海道や東北北部はむろんだが、福島県でも会津地方を中心に […]
天真を養う 第22回 雲、峯を吐く
(2024/07/01 墨 2024年7・8月号 289号(芸術新聞社)掲載)
清巌宗渭墨跡 雲吐峯 清巌宗渭 江戸時代 石川県立美術館蔵 雲と山の関係は面白い。普通の感覚では「青山元不動 白雲自(おのずか)ら去来す」(『五灯会元』)などが馴染みやすい。つまり山は我々の仏性のように兀然として不動で […]
リレーエッセイ シリーズ「人間とは」 人間、この厄介な生き物
(2024年6月 建長寺『巨福』(令和6年雨安居 第119号)掲載)
釈尊は、成道した際に次のように呟いたとされる。「奇なる哉、奇なる哉、一切衆生悉く皆如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるを以てのゆえに証得せず」(『註華厳法界観門』) さまざまな解釈を見かけるが、私としては、妄想執 […]
なつかしの街、上野
(2024/05/10 うえの 2024年5・6月合併号(創刊65周年記念号)掲載)
上野について書くようにとのご依頼だが、私は上野に住んだこともないし友人が住んでいるわけでもない。職場だったこともなければ近くの学校に通ったわけでもない。そもそも私に上野について書く資格などあるのか、と思えるのだが、なぜ […]
通信文化 2024年5月号 巻頭言 「手紙」のなかの平和
( 通信文化 2024年5月号掲載)
ウクライナで戦争が始まり、二年が経過した。戦時における言葉の意味の変化を示そうと、オスタップ・スリヴィンスキー氏は多くの被災者たちの文章を一冊にまとめた。それをロバート キャンベル氏が日本語訳したのが『戦争語彙集』(岩 […]
天真を養う 第21回 鶴は飛び、龍は起つ
(2024/05/01 墨 2024年5・6月号 288号(芸術新聞社)掲載)
「木庵性瑫筆一行書」 木庵性瑫 江戸時代 慶應義塾蔵(センチュリー赤尾コレクション) 長年の禅修行で磨き上げた人を昔から「龍象」と言う。我々には龍や象ほどの大力量が元々具わっているというのである。 ここでは龍 […]
日曜論壇 第115回 散華
(2024/04/21 福島民報掲載)
「願わくは花の下(もと)にて春死なむその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ」、西行法師はそう詠(うた)って、二月十六日に亡くなった。お釈迦(しゃか)さまと同じ如月(旧暦二月)の望月(十五日)の頃に往(ゆ)きたかっ […]
天真を養う 第20回 福の海
(2024/03/01 墨 2024年3・4月号 287号(芸術新聞社)掲載)
一行書「福海無量」 慈雲尊者 江戸時代 紙本墨書 90×31.1 東京国立博物館蔵 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp) いったいどんな筆で書いたのか、そう思わずにいられない墨 […]
日曜論壇 第114回 デリケートな復興の行方
(2024/02/11 福島民報掲載)
元日の夕方、私は町内の神社でお参りしたあと、仁王門の下に立ったまま急な揺れを感じた。頭上の梁(はり)がギシギシと鳴り、地面も振動し、すぐに女房のスマホから警報音が聞こえた。そして能登半島方面の地震であることが告げられ、 […]
天真を養う 第19回 把不住(はふじゅう)
(2024/01/01 墨 2024年1・2月号 286号(芸術新聞社)掲載)
雲居希膺禅師墨蹟「莫妄想」 雲居希膺禅師 紙本 26×57 東園寺蔵 なんというか、じつに清々しいというか、首筋が伸びるような墨跡である。余計なことを考えずに書いているのが直截に伝わる。思えば「莫妄想(まくもうぞう)」 […]