こんな言葉は見たことも聞いたこともないが、そうとしか言いようのない事態が起きた。じつは二月の強風で庭の赤松が折れ、池に向かってほぼ直角に倒れた。樹齢およそ二百年、庭師さんが毎年足場を組んで丹精してきた松だが、今や枝先が池にどっぷり浸っている。
元々折れた部分は虫に喰われ、大きな洞(ほら)ができていたから、普通ならその木全体をこの際諦め、切り倒すしかないと思うだろう。しかし「杜の学校」を主催する矢野智徳(やのとものり)氏に相談すると、現場を見たうえで何とかなるかも、という。折れた反対側の樹皮が幾分繋がっており、残った維管束で水や栄養を送り、治療がうまくいけばやがて形成層(植物の細胞に当たるもの)も増えてくるというのだ。
日を改めてやってきた矢野さんは、倒れた幹を何本かの添え木で固定し、暴風で一気に割れた虫喰い部分にグレーのゲル状のものを塗り込んだ。それは速乾性じゃない木工ボンドに屑炭を合わせ、更に粗(あら)腐葉土と呼ぶ呼ぶ物体を混ぜたもの。粗腐葉土とは、枯葉や木端や竹などが混じり、まだ腐葉土になりきれていない隙間の多い集合体である。ゆっくり固まるボンドにこれを混ぜることで、水や空気の通路ができるというのである。
更に矢野さんは、洞だった部分にそこいらの椿や羊歯(しだ)や青木の幼木を活け、腐葉土で包む。他の植物の根が拡がることで、割れた松どうしの連絡がつきやすくなるというのだ。その植栽の部分を残し、麻布でぐるぐると巻き、細い棕櫚縄で巻いてできあがり。あとは池の上に張り出した枝を数本切って「様子を見ましょう」と言う。
まるで背骨を骨折した人の治療のようで、矢野さんは命ある限り諦めない名医のように見えた。
思えば仏教は、たとえば廃仏毀釈の爪痕を「首なし地蔵」のまま残して祀るなど、災厄を偲べる形で残してきた。東日本大震災のときも当山の山門横の土塀が片側だけ倒れたのだが、そのまま残して震災を憶いだすヨスガとした。
リニューアルやモデルチェンジばかりが望まれる世の中だが、特に生き物についてはそうはいかず、健やかに命を長らえる努力こそ医療や介護の原点ではないだろうか。
これまで庭を睥睨(へいげい)してきた誇り高い松が、今は頭の一部を池に突っ込んだまま、腰に包帯を巻いて青息吐息で横たわっている。これが「健やか」なのかと、思うかもしれないが、もともと「誇り高い」と見たのも人間の勝手な思い込み。「折れ松」は案外もっと逞しく、新しい生き方を見出すのではないか……。
毎朝起きて障子を開けると目に飛び込み、赤い胴体を曝(さら)しているのだが、今のところ葉は青々として元気なのがうれしい。さて、どうなるか?
2025/04/06 福島民報