エッセイ
天真を養う 第25回 不生の仏心
(2025/01/01 墨 2025年1・2月号 292号(芸術新聞社)掲載)
墨蹟「不生」 盤珪永琢 江戸時代 17世紀 紙本墨書 29.7×56.0 九州国立博物館蔵 出典:ColBase 臨済禅は、白隠(はくいん)禅師が中興の祖とされ、今に伝わるのは全て公案を用いるその流れだけになってしまっ […]
日曜論壇 第118回 山のあなた
(2024/11/17 福島民報掲載)
以前私は、人が住む場所によって物の見方にどんな影響があるのか興味を持ち、『四雁川流景』という短編集を書いたことがある。水の豊かな架空の町で、湿地帯や盆地の中央部、坂の途中や丘の上、あるいは古代の墓地跡に建てられた高層ビ […]
天真を養う 第24回 造作すること莫れ
(2024/11/01 墨 2024年11・12月号 291号(芸術新聞社)掲載)
慈雲飲光筆一行書 慈雲飲光 18世紀 紙本墨書 一幅 93.5×25.4 慶應義塾蔵(センチュリー赤尾コレクション) 第二回ではお茶に絡め、仙厓(せんがい)和尚の「無事」を扱ったが、今回の書はその大元である「無事是貴人 […]
日曜論壇 第117回 電力地獄
(2024/09/08 福島民報掲載)
県内外へ約16万人が避難した原発事故から13年半、今も2万5千人以上の人々が事故以前とは別な場所で暮らしている(県外避難者は2万人強〔R6,5/1時点〕)。あの事故以後の我々は、今後の電力の在り方についても相当真剣に考 […]
天真を養う 第23回 兎角の杖、亀毛の拂子
(2024/09/01 墨 2024年9・10月号 290号(芸術新聞社)掲載)
一行書 「龜毛拂」「兎角杖」 木庵性瑫 江戸時代前期 各136.2×37.9 愛知県美術館蔵(木村定三コレクション) 一瞬「鬼の角」かと思ったがそうではない。「兎の角」である。「兎角亀毛」という禅語があり、あり得ない […]
「待つ」ということ
(2024/07 『紫野』65号(お盆号)(臨済宗大本山大徳寺)掲載)
このところ通信手段が発達し、「待つ」必要がなくなってきた。と言えば、便利で素晴らしい世の中のようだが、逆に言えば人がどんどん待てなくなっている、ということでもある。 昔の手紙なら返事が届くまで十日ほどは待てた。しかし […]
稲垣えみ子著『寂しい生活』 文庫版解説 「寂滅為楽」とその後
(2024/07/11 『寂しい生活』稲垣えみ子 解説掲載)
ご本人も仰(おっしゃ)るように、この本は大いなる「冒険譚(ぼうけんたん)」である。読み始めたらそう簡単にはやめられない。私の場合は途中お葬式が二件あったので中断したが、ヘタをすると親の死に目に会えない可能性もある。危険 […]
日曜論壇 第116回 ソーラーパネルと熊
(2024/06/30 福島民報掲載)
ここ数年、町場での熊の出没が激増している。環境省によれば、昨年度の熊による人的被害は、十九道府県で計一九八件、二一九人で、統計のある二〇〇六年以降最多だった。 北海道や東北北部はむろんだが、福島県でも会津地方を中心に […]
天真を養う 第22回 雲、峯を吐く
(2024/07/01 墨 2024年7・8月号 289号(芸術新聞社)掲載)
清巌宗渭墨跡 雲吐峯 清巌宗渭 江戸時代 石川県立美術館蔵 雲と山の関係は面白い。普通の感覚では「青山元不動 白雲自(おのずか)ら去来す」(『五灯会元』)などが馴染みやすい。つまり山は我々の仏性のように兀然として不動で […]
リレーエッセイ シリーズ「人間とは」 人間、この厄介な生き物
(2024年6月 建長寺『巨福』(令和6年雨安居 第119号)掲載)
釈尊は、成道した際に次のように呟いたとされる。「奇なる哉、奇なる哉、一切衆生悉く皆如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるを以てのゆえに証得せず」(『註華厳法界観門』) さまざまな解釈を見かけるが、私としては、妄想執 […]
なつかしの街、上野
(2024/05/10 うえの 2024年5・6月合併号(創刊65周年記念号)掲載)
上野について書くようにとのご依頼だが、私は上野に住んだこともないし友人が住んでいるわけでもない。職場だったこともなければ近くの学校に通ったわけでもない。そもそも私に上野について書く資格などあるのか、と思えるのだが、なぜ […]
通信文化 2024年5月号 巻頭言 「手紙」のなかの平和
( 通信文化 2024年5月号掲載)
ウクライナで戦争が始まり、二年が経過した。戦時における言葉の意味の変化を示そうと、オスタップ・スリヴィンスキー氏は多くの被災者たちの文章を一冊にまとめた。それをロバート キャンベル氏が日本語訳したのが『戦争語彙集』(岩 […]