達磨
白隠 厳粛かつポップな禅僧
(エッセイ・
2012/11/12 )
白隠慧鶴禅師は貞享二(一六八五)年、駿河の国、原の宿に生まれ、明和五(一七六八)年、八十四歳で遷化(せんげ)した臨済宗の僧である。諡(おくりな)は後桜町天皇から「神機独妙禅師(しんきどくみょうぜんじ)」、明治天皇から「 […]
ダルマの一文字
(エッセイ・
2012/1/15 )
巨大なダルマの腹にその年の希望の一字を入れる行事も今年で3年目になる。 京都・清水寺の貫主さまが一年を振り返って揮毫(きごう)されるのに対し、こちらは新年の希望を込める。もともと「正月」とは禅寺の「修正会(しゅしょう […]
七転び八起き
(エッセイ・
2010/1/31 )
正月に達磨の軸物を飾るのは禅寺の習慣だが、うちのお寺では雪村筆の達磨図を大晦日に掛けることになっている。福聚寺七世であった鶴堂和尚の弟子になったのが雪村であり、僧名は鶴船周継である。 雪村は茨城県に生まれ、福聚寺開山 […]
我が家のお正月のしきたり
(エッセイ・
2007/12/10 )
我が家には正月のしきたりが、ありすぎるほどある。これは我が家というより、長年のお寺の習慣である。ここでは、そのなかでわりと一般的なものを紹介しよう。 元朝(がんちょう)の四時に起きて若水(わかみず)を本堂に供え、五時 […]
我が老師
(エッセイ・
2006/5/16 )
吉川英治は「会う人みな我が師なり」という意味のことを云(い)ったらしい。しかし私にとって師といえば、やはり天龍寺の平田精耕老師だ。深い交遊について書くようにとのご依頼だし、果たして老師とのことを「交遊」と呼んでいいかど […]
「黙識」あるいは言語道断の言語
(エッセイ・
2002/6/11 )
鈴木大拙と呼び捨てにできるわけもないし、かといって大拙さんというほど通暁しているわけでもない。鈴木さんでは別人のようだから、ここでは大拙博士と呼ぶことにするが、そんなことで悩むほどに、大拙博士は遠くて近い存在である。 […]