墨
造作すること莫れ
(エッセイ・
2024/11/1 )
慈雲飲光筆一行書 慈雲飲光 18世紀 紙本墨書 一幅 93.5×25.4 慶應義塾蔵(センチュリー赤尾コレクション) 第二回ではお茶に絡め、仙厓(せんがい)和尚の「無事」を扱ったが、今回の書はその大元である「無事是貴人 […]
兎角の杖、亀毛の拂子
(エッセイ・
2024/9/2 )
一行書 「龜毛拂」「兎角杖」 木庵性瑫 江戸時代前期 各136.2×37.9 愛知県美術館蔵(木村定三コレクション) 一瞬「鬼の角」かと思ったがそうではない。「兎の角」である。「兎角亀毛」という禅語があり、あり得ない […]
雲、峯を吐く
(エッセイ・
2024/6/30 )
清巌宗渭墨跡 雲吐峯 清巌宗渭 江戸時代 石川県立美術館蔵 雲と山の関係は面白い。普通の感覚では「青山元不動 白雲自(おのずか)ら去来す」(『五灯会元』)などが馴染みやすい。つまり山は我々の仏性のように兀然として不動で […]
鶴は飛び、龍は起つ
(エッセイ・
2024/5/1 )
「木庵性瑫筆一行書」 木庵性瑫 江戸時代 慶應義塾蔵(センチュリー赤尾コレクション) 長年の禅修行で磨き上げた人を昔から「龍象」と言う。我々には龍や象ほどの大力量が元々具わっているというのである。 ここでは龍 […]
福の海
(エッセイ・
2024/3/1 )
一行書「福海無量」 慈雲尊者 江戸時代 紙本墨書 90×31.1 東京国立博物館蔵 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp) いったいどんな筆で書いたのか、そう思わずにいられない墨 […]
把不住(はふじゅう)
(エッセイ・
2023/12/28 )
雲居希膺禅師墨蹟「莫妄想」 雲居希膺禅師 紙本 26×57 東園寺蔵 なんというか、じつに清々しいというか、首筋が伸びるような墨跡である。余計なことを考えずに書いているのが直截に伝わる。思えば「莫妄想(まくもうぞう)」 […]
「今ここ」の歓喜
(エッセイ・
2023/11/1 )
智入三世而無来往 月船禅慧 成田山書道美術館蔵 わが三春町には享保の頃、豆腐屋が百八軒あり、索麺(そうめん)打ちが二十三人いたという。人口六千五百人程度の町には些か多すぎるが、これは恐らく安居(あんご)のための備えだろ […]
言中響あり
(エッセイ・
2023/9/1 )
隠元隆琦筆一行書 隠元隆琦 慶應義塾蔵(センチュリー赤尾コレクション) この連載の何よりのありがたさは、思いもよらぬ凄い墨跡に出逢えることだ。今回も隠元和尚の雄渾な書に接して歓喜した。しかもこの言葉、私の大好きな言葉で […]
無常と循環
(エッセイ・
2023/7/1 )
仙厓 「滝図自画賛」 紙本墨画 一幅 136.2×30.2 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と『方 […]
なんとかなるさ
(エッセイ・
2023/5/1 )
「五言草書幅」 愚極礼才 紙本墨書 一幅 91×31 ふくやま書道美術館蔵 宋代に達磨関係の文書をまとめた『少室六門集』に次の文章がある。「吾れ本(も)と茲(こ)の土(ど)に来たり、法を伝えて迷情(めいじょう)を救う。 […]
「坐」ってリセット
(エッセイ・
2023/3/1 )
日本人の日本人らしさとは何なのかと、たまに考えることがある。昔の答えは「布団の上げ下ろし」と「正坐」だった。オンドルに布団を敷いたままの韓国人と、北宋の時代からベッドを使った中国人に対し、日本人はつい最近まで布団を上げ […]
「一」という体験
(エッセイ・
2022/12/28 )
清巌宗渭筆「一」一大字 清巌宗渭 慶應義塾蔵(センチュリー赤尾コレクション) https://objecthub.keio.ac.jp/object/298 最近は自他の違いに目を向け、多様性を尊重するのがトレンドらし […]