墨
福の海
(エッセイ・
2024/3/1 )
一行書「福海無量」 慈雲尊者 江戸時代 紙本墨書 90×31.1 東京国立博物館蔵 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp) いったいどんな筆で書いたのか、そう思わずにいられない墨 […]
把不住(はふじゅう)
(エッセイ・
2023/12/28 )
雲居希膺禅師墨蹟「莫妄想」 雲居希膺禅師 紙本 26×57 東園寺蔵 なんというか、じつに清々しいというか、首筋が伸びるような墨跡である。余計なことを考えずに書いているのが直截に伝わる。思えば「莫妄想(まくもうぞう)」 […]
「今ここ」の歓喜
(エッセイ・
2023/11/1 )
智入三世而無来往 月船禅慧 成田山書道美術館蔵 わが三春町には享保の頃、豆腐屋が百八軒あり、索麺(そうめん)打ちが二十三人いたという。人口六千五百人程度の町には些か多すぎるが、これは恐らく安居(あんご)のための備えだろ […]
言中響あり
(エッセイ・
2023/9/1 )
隠元隆琦筆一行書 隠元隆琦 慶應義塾蔵(センチュリー赤尾コレクション) この連載の何よりのありがたさは、思いもよらぬ凄い墨跡に出逢えることだ。今回も隠元和尚の雄渾な書に接して歓喜した。しかもこの言葉、私の大好きな言葉で […]
無常と循環
(エッセイ・
2023/7/1 )
仙厓 「滝図自画賛」 紙本墨画 一幅 136.2×30.2 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と『方 […]
なんとかなるさ
(エッセイ・
2023/5/1 )
「五言草書幅」 愚極礼才 紙本墨書 一幅 91×31 ふくやま書道美術館蔵 宋代に達磨関係の文書をまとめた『少室六門集』に次の文章がある。「吾れ本(も)と茲(こ)の土(ど)に来たり、法を伝えて迷情(めいじょう)を救う。 […]
「坐」ってリセット
(エッセイ・
2023/3/1 )
日本人の日本人らしさとは何なのかと、たまに考えることがある。昔の答えは「布団の上げ下ろし」と「正坐」だった。オンドルに布団を敷いたままの韓国人と、北宋の時代からベッドを使った中国人に対し、日本人はつい最近まで布団を上げ […]
「一」という体験
(エッセイ・
2022/12/28 )
清巌宗渭筆「一」一大字 清巌宗渭 慶應義塾蔵(センチュリー赤尾コレクション) https://objecthub.keio.ac.jp/object/298 最近は自他の違いに目を向け、多様性を尊重するのがトレンドらし […]
修行の階梯
(エッセイ・
2022/11/1 )
「十牛図」 陶山雅純摸 原本:狩野探幽筆 江戸時代 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 「天真を養う」という言葉は不思議である。天真は以て生まれた命そのもの […]
『墨』2022年11・12月号(279号)にエッセイ2本と訳文掲載
(おしらせ・
2022/11/1 )
2022年11月1日発売の『墨』2022年11・12月号(279号)に 特集「心ととのえる書」 エッセイ「そこに自由はあるんか?」 特集「心ととのえる書」 般若心経のページに玄侑の『現代語訳 般若心経』からの訳文 連載中 […]
そこに自由はあるんか?
(エッセイ・
2022/11/1 )
「心ととのえる書」という特集名を見て、私はあらためて「心ととのえる」とはどういうことだったかと、考えてしまった。 私が属する臨済宗妙心寺派では、生活信条として次のような言葉を掲げている。「一日一度は静かに坐って、身( […]
撥草参玄
(エッセイ・
2022/9/1 )
「撥草」 沢庵宗彭 紙本墨書 一幅 32 x 57 ふくやま書道美術館蔵 「撥草」は「バチクサ」と読めばペンペン草のこと。実の形が三味線のバチ(撥)に似ているため「なずな」をそう呼ぶのだが、ここでは無論そうではなく、『 […]