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天真を養う 第22回

雲、峯を吐く

清巌宗渭墨跡 雲吐峯
清巌宗渭
江戸時代
石川県立美術館蔵


 雲と山の関係は面白い。普通の感覚では「青山元不動 白雲自(おのずか)ら去来す」(『五灯会元』)などが馴染みやすい。つまり山は我々の仏性のように兀然として不動であり、一方で白雲は時々刻々姿を変え、それによって趣きを加える。「色即是空」の境地にありながら、「空即是色」の娑婆世界にも真摯な目を向け、楽しんでいるのである。
 そうなると陶淵明の「帰去来辞」のように「雲、無心にして岫(しゅう)を出で」という描写が憶いだされる。つまり雲は、「岫」という山腹の洞穴から出てくるのだ。当時の人々が実際そう思っていたかどうかは知らないが、雲は山から湧き出て山に趣きを添えることは確かだ。
 ところが山への絶対的な信がないと、雲はどうしても邪魔者にされる。「雲去って山嶺露わる」とか「雲収まって山岳青し」などのように、雲はまるで煩悩で、それが去ったあとの仏性の輝きとして山だけを愛でるのである。
 それらを前提にこの墨跡を見るとどうだろう? まず何より紙面いっぱいのダイナミックな筆致に驚かされるが、その言葉も「峯、雲を吐く」ではなく、「雲、峯を吐く」なのである。
 山が雲を吐くならわかる。岫であれ、峯の谷間であれ、雲は山から湧いてくる。しかしその常識が覆されるのだ。今の時期なら入道雲か、モクモクと湧き出た雲がふうっと風で動き、峯が見えだした。まるで雲が峯を吐き出したようだというのである。雲が煩悩だと言うなら、どっぷりとそんな現実の苦悩に浸り、それに向き合い、そこから自ずと見えてきた活路……。そんなふうに思えないだろうか。
 清巌宗渭は天正十六年(一五八八)に近江に生まれ、やがて大徳寺百七十世となる。書は張即之の影響を受け、画にも秀でた。千利休の孫に当たる千宗旦の参禅の師でもあり、裏千家「今日庵」の命名に関わる面白い話が伝わっている。
 宗旦が隠居所として建てた茶室開きの日、当然清巌和尚も招かれた。しかし何の事情があったのか定刻には来なかった。そのため宗旦は、所定の儀式が済むと別の用事で出かけてしまった。もしも老師が遅れて来た場合はと考え、「明日お越しください」と伝言を残して出たのだが、宗旦不在のときにやってきた清巌和尚、新しい茶室の腰張りに「懈怠比丘不期明日(けたいのびくあすをきせず)」と書き付けて帰っていった。「怠け者の私は、明日の約束はできません」というのである。
 私も一寺を預かっていると、葬儀の知らせ一つで予定がすべて入れ替わるのはよく知っている。それを見た宗旦は、今日という日を疎かにしていたことに気づき、茶室を「今日庵」と名づけたという。
 再び墨跡に目を戻すと、入道雲をじっと見つめる清巌和尚の目に気づくだろう。チャンスはいつでも来る。ほら、諦めるな。

2024/07/01 墨 2024年7・8月号 289号(芸術新聞社)

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