禅語・仏教語
命の伴侶
(エッセイ・
2020/10/2 )
お茶と禅の出逢いは、初めは坐禅による睡気(ねむけ)を防ぐためだったとも言われる。今でも煎茶の抗がん作用などが取り沙汰され、その薬効が強調されることもある。ただ、役に立つから「つきあう」というのでは、功利的すぎて長続きす […]
花を弄すれば
(エッセイ・
2020/2/10 )
「花を弄(ろう)すれば香り衣に満つ」という禅語がある。もとは唐の詩人于良史の詩「春山夜月」の一節だが、禅の世界では時に作者の意図を超え、人生上の意味を込めて使うことが多い。ここでは、花に囲まれ花に触れていれば衣類に芳香 […]
さすらいの「縁起」
(エッセイ・
2020/1/1 )
どうやらここで私に期待されている役割は、本来の「縁起」の意味を提示することらしい。つまり「良い」とか「悪い」とか、挙げ句は「担」がれたりもする縁起だが、そもそも縁起とはいったい何なのか、そのことをご期待に沿うべく書いて […]
南山に雲起こり……。
(エッセイ・
2016/11/30 )
禅語に、「南山に雲起こり、北山に雨下(ふ)る」という言葉がある。辞書によっては「雲を起こし」「雨を下(くだ)す」と訓じているが、これは中国語独特の表現であくまでも自発。他動詞的に訳すと余計な意味が付着する。 そんなこ […]
巻頭墨跡「風流」
(エッセイ・
2015/1/8 )
すでに十一世紀には白雲守端(しゅたん)禅師が禅語として用い、「風流ならざる処もまた風流(不風流処也風流)」と言った。どんなに無様(ぶざま)な事態に陥(おちい)っても、やがて揺らいで重心を取り直し、「ゆらぎ」そのものを風 […]
禅と仮想
(エッセイ・
2006/1/10 )
なぜだろう、茂木さんの書かれるものは、すんなり腑に落ちる。 ご本人には心外かもしれないが、たぶんそれは、文学的だからというだけでなく、仏教的あるいは禅的だから、かもしれない。 今回茂木さんが手にした鉗子(かんし)は […]
鏡板の老松
(エッセイ・
2005/10/5 )
能舞台の正面奥の鏡板には、必ず老松の絵が描かれている。これはもともと、奈良春日大社の一の鳥居のところの影向の松の下で神事が行われたことに由来するらしい。 松は昔から、神の天降りを「待つ」神聖でめでたい木とされてきた。 […]