禅語に、「南山に雲起こり、北山に雨下(ふ)る」という言葉がある。辞書によっては「雲を起こし」「雨を下(くだ)す」と訓じているが、これは中国語独特の表現であくまでも自発。他動詞的に訳すと余計な意味が付着する。
そんなことはともかく、文意は一見して因果が全く読めない、ということ。つまり、関係性はよく分からないが、確かに関係しているという意味合いで使う。仏教語では「縁起」というが、因と縁は複雑に絡みあって人間などに簡単には理解できない。だからこそ、お釈迦さまもその法を悟りながら、人に語ることをためらったのだ。
こんな禅語を憶いだしたのは、このところ世間に起こるさまざまなこと、たとえばアメリカの大統領選挙や、天皇陛下の生前退位を示唆する発言、SMAPの解散決定などが、なんとなく関係しているようなのだが、その関係性がはっきりしない、そんな宙吊り感のせいなのだった。
しかしよくよく考えるうちに、どうもこれは「本音を語る」あるいは「建前を壊す」ことではないかと思い当たった。
大統領選挙はご覧のように誹謗合戦。それぞれの建前を壊そうと必死だが、もしかすると天皇陛下も「個人として」のお考えを仰(おつしや)り、結果的にこれまでの象徴的「聖性」を壊されたのではないか……。
「聖性」という言葉に疑問をもつ方もいらっしゃるかもしれないが、天皇皇后両陛下は、戦地巡礼や被災地訪問を繰り返され、普段の宮中儀礼だけでなく、国民を慰撫し、励ますという極めて宗教的な行為を続けてこられた。大日本帝国憲法の規定する「神聖ニシテ侵スヘカラス」という意味合いではないにしても、やはり宗教的聖性を弥(いや)増(ま)してこられたのである。
しかし陛下は、ついに八月八日、ビデオメッセージを通じて本音を仰った。詮ずればそれは、「私も年をとった」「即位と送葬が重なると大変」という極めて人間的な御発言ではなかったか……。
両陛下と並べては失礼かもしれないが、SMAPというアイドル(偶像)も、本音を語って二十五年も続いた聖性を失った。
こうして「北山の雨」に当たる現象の共通点が見えてくると、当然ながら「南山の雲」とは何かが気になってくる。
もしかしたらそれは、「本音」と思って呟く「ツイッター」やSNS、もっと言えば、スマホなどの通信機器そのものではないか……。すぐに検索できるグーグルがあれば、祈って待つべき神など要らない。そしてWEB上には、妙に過激で攻撃的な「本音」が溢れている。そこでは昭和のヒーローからどんどん小型化した平成のアイドルも生き残れず、あらゆる存在の聖性は保たれない。無宗教、とまでは言わなくとも、聖性が極限まで小粒化した「待てない世界」である。
もしかすると、南山とはネット上、北山とは現実世界だろうか……。
2016/11/30 東京新聞ほか