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北国の初夏と「宿怨」
(エッセイ・ 2022/5/15 )

 一九四一年四月に結ばれた「日ソ中立条約」は四年後の四月に一方的に破棄を通告され、ソ連は「連合国の参戦要請を受けた」と詐(いつわ)って八月八日に突如日本に宣戦布告した。その動きは一気呵成(かせい)で、翌九日の午前零時から […]

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たまきはる福島基金
(エッセイ・ 2022/2/20 )

 原発事故が起こり、主に故郷から避難した子どもや若者を支援しようと「たまきはる福島基金」を立ち上げたのは二〇一一年の八月だった。立ち上げたといっても私が籏(はた)を振ったわけではなく、県の林業会館にいた渡邊卓治さんとその […]

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アナザーストーリーズ
(エッセイ・ 2021/12/12 )

 歴史とは、スポットライトの当てようで一変してしまうことがあるものだが、はっきりそれを意図して作られているのがNHK・BSの「アナザーストーリーズ」という番組だろうか。  一九五〇年七月二日未明、京都鹿苑寺(ろくおんじ) […]

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12月12日の福島民報 日曜論壇にエッセイ掲載
(おしらせ・ 2021/12/9 )

12月12日(日)の福島民報 日曜論壇にエッセイ「アナザーストーリーズ」が掲載されます。 【追記】 日曜論壇「アナザーストーリーズ」を転載しました。関連リンク欄からご覧いただけます。 […]

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形見としての自然
(エッセイ・ 2021/10/10 )

 お通夜の儀式後、私はたいてい柩(ひつぎ)の蓋に筆で文字(言葉)を書かせていただく。別に私の発案ではなく、先住職である父がしていたことだし、元々は宗派に関係ない全国的な習慣で、棺文(かんもん)と言われる。  昔ながらの定 […]

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10月10日の福島民報 日曜論壇にエッセイ掲載
(おしらせ・ 2021/10/8 )

10月10日(日)の福島民報 日曜論壇に「形見としての自然」が掲載されます。 […]

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それどころじゃない!?
(エッセイ・ 2021/8/22 )

 時間やお金や心理的余裕など、「それ」をするための条件が整わず、とても「それ」など行なってはいられない場合、「それどころじゃない」と言う。あるいは突発的な出来事で元来予定していたことができなくなった場合にも「それどころじ […]

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経過観察
(エッセイ・ 2021/6/20 )

 最近、「経過観察」という医療用語に些(いささ)か思うところがあった。  たとえば脳内の血管をMRI(磁気共鳴画像装置)で撮影すると、腫瘤(しゅりゅう)が二つほどあったとしよう。医師が画像を見ても「悪い顔つきではない」と […]

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寝耳に処理水
(エッセイ・ 2021/5/26 )

 最近、政府が会議を開く以前に結論を決めているケースが目につく。「緊急事態宣言の解除」も専門家に諮ると言いながら、事前に「決定する見通し」と報道される。専門家をコケにしたこのやり方、いや、コケにされても怒らない専門家ばか […]

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無常迅速
(エッセイ・ 2021/2/21 )

 それは二月十三日、バレンタインデー前日のことだった。私はTVでオリ・パラ組織委員会の森会長辞任劇を眺めつつ、ありがたいチョコなど頂き、それから郡山まで車でお通夜に出かけたのである。  コロナのせいで身内だけ、しかも全員 […]

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後の祭り
(エッセイ・ 2020/12/21 )

 つぶさに調べたわけではないが、クリスマスから新年にかけて実家に戻るという習慣は、世界中にあるのではないだろうか。自分の原点である故郷を確認し、各地での奮闘から離れて休息し、ファミリーとの団欒(だんらん)を楽しむ。中国の […]

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ごめんなさい
(エッセイ・ 2020/10/18 )

 ソクラテスは対話を重んじたことで知られる。朝食を終えると毎日粗末な衣服のまま街に出かけ、広場や神殿など人の集まる場所で誰彼となく問答を仕掛け、相手に「不知の自覚」を促したとされる。神に比べれば我々の知性など無に等しい。 […]

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