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後の祭り
(エッセイ・ 2020/12/21 )

 つぶさに調べたわけではないが、クリスマスから新年にかけて実家に戻るという習慣は、世界中にあるのではないだろうか。自分の原点である故郷を確認し、各地での奮闘から離れて休息し、ファミリーとの団欒(だんらん)を楽しむ。中国の […]

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ごめんなさい
(エッセイ・ 2020/10/18 )

 ソクラテスは対話を重んじたことで知られる。朝食を終えると毎日粗末な衣服のまま街に出かけ、広場や神殿など人の集まる場所で誰彼となく問答を仕掛け、相手に「不知の自覚」を促したとされる。神に比べれば我々の知性など無に等しい。 […]

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虻蜂取らず
(エッセイ・ 2020/8/16 )

 昔、先輩の和尚さんに言われたことがある。「忙しいのは仕方ないにしても、忙しそうにしてはダメだ」と。僧侶の最大の仕事は人に向き合って安らぎを感じてもらうことだから、という理由だったと思う。  それが長年の指針になるにつれ […]

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怪しい素顔
(エッセイ・ 2020/6/14 )

 新型コロナウィルスの流行により、マスク着用での外出や対面が新たなスタンダードになった。私自身は何十年ぶりかのマスクであるため、今も時々忘れ、お寺まで戻ったりする。  お経を唱える場合はご遺体と遺影のほうに向いているため […]

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凜とした連帯
(エッセイ・ 2020/4/12 )

 「そんなに近づくんじゃない」。 そう言われて畳の上を後ずさったのは、道場の入門試験が終わり、雲水の責任者に初めて面会したときだった。人に敬意を示すには、距離が必要なのだ。距離は畏敬の表現なのだと深く自覚した。  一方で […]

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花を弄すれば
(エッセイ・ 2020/2/10 )

 「花を弄(ろう)すれば香り衣に満つ」という禅語がある。もとは唐の詩人于良史の詩「春山夜月」の一節だが、禅の世界では時に作者の意図を超え、人生上の意味を込めて使うことが多い。ここでは、花に囲まれ花に触れていれば衣類に芳香 […]

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覇権のゆくえ
(エッセイ・ 2019/12/8 )

 どうしても年の瀬になると、この一年を振り返ってしまう。なんといっても令和への改元が最大の画期だが、「令和」は大正新修大蔵経に百五十九カ所も登場する。しかもそのうち九十二カ所が「令和合」、つまり和合せしむる意味である。 […]

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烏賊と原発
(エッセイ・ 2019/10/7 )

 私は六十三歳だが、近ごろ驚くほど体質が変わったような気がする。何より好きじゃなかった烏賊(いか)が食べられるようになり、いやむしろ旨(うま)いとさえ思うようになった。どこか深いところで宿年の拘(こだわ)りが解けたのだろ […]

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瑞西の歌声
(エッセイ・ 2019/8/4 )

 七月下旬、福島市の音楽堂で「ふくしま復興支援コンサート スイス国と共に」と題した大がかりなコンサートが行なわれた。当初は私が理事長を務める「たまきはる福島基金」主催の予定だったのだが、福島市がスイスのホストタウンになっ […]

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お墓の変化
(エッセイ・ 2019/6/9 )

 先日、岩手県の一関市へ出かけてきた。祥雲寺さんが始めた樹木葬墓地が二十周年を迎えるため、記念講演を頼まれたのである。  思えば墓地は、時代によってさまざまに変遷してきた。今は「○○家之墓」という棹石(さおいし)に法名碑 […]

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使わせてもらってます
(エッセイ・ 2019/4/14 )

 中国と日本の関係は特別である。大まかに言えば、十五、六世紀までの日本は、中国からさまざまな文化・文物を取り入れ、独自のアレンジを加えながら日本化してきた。文字はその代表的なもので、仮名というアレンジ作品は産みだしたもの […]

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仮設トイレでの快哉
(エッセイ・ 2019/2/17 )

 シナイ半島への陸自派遣が決まった。二回目の米朝首脳会談も決まり、日ロの領土交渉も大詰めに向かいつつある。世の中を見まわすと息苦しい出来事に満ち、また私も原稿の〆切が間近に迫っていたのだが、二月十日のお寺ではそれどころで […]

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