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日曜論壇 第100回

それどころじゃない!?

 時間やお金や心理的余裕など、「それ」をするための条件が整わず、とても「それ」など行なってはいられない場合、「それどころじゃない」と言う。あるいは突発的な出来事で元来予定していたことができなくなった場合にも「それどころじゃなくなった」などと言う。してみれば、「それどころじゃない」事態が起きないことが平和というものかもしれない。
 通常、オリンピックを予定していたのに新型コロナ・ウィルスが蔓延し、就中(なかんずく)感染力の強いデルタ株の割合が増えたとなれば、「オリンピックどころじゃない」という判断もあり得る。しかしこれは優先順位の問題だから、人によって違うのは致し方ないのだろう。この国のエライ人々は結局感染抑止を目指すと言いながらオリンピックも開催した。結果は感染爆発と言っていい状態だが、オリンピックとの関係はおそらく検証する気もないのだろう。
 私の場合、お盆が間近に迫っていたから、テレビのオリンピック番組はあまり視(み)られなかった。視なければ盛り上がりようもないから、当然「オリンピックどころじゃない」日々が続いたのである。
 八月七日には新盆の方々に集まっていただき、お施餓鬼(せがき)の法要を実施した。むろんマスク着用のうえ、手指消毒や検温などもお願いしての入堂である。事前に準備した卒塔婆は三百本あまり。読み上げる回向(えこう)やお名前の用意などもあり、オリンピックどころじゃなかったのはご理解いただけると思う。
 ところがこの日(七日)、恰度(ちょうど)法要の最中に入院中だった母が亡くなった。ある程度覚悟はしていたものの、選(よ)りにも選って忙しさ最高潮へと向かう直前の出来事である。
 むろん、お盆どころじゃない、とは言えないし、だからといって母の葬儀どころじゃない、とも言えない。しかもこの原稿の〆切はお盆明けだが、原稿どころじゃない、とも言えないではないか。
 母の葬儀を準備しつつ新盆宅の棚経に廻(まわ)っていると、今度は全国的な大雨。各地で河川氾濫や土砂崩れが起こり、死者も次々に出ている。お盆だというのに、お盆どころじゃないではないか。
 それどころじゃないと、拒絶できるものなら事は簡単だが、世の中そうはいかないことに充(み)ちている。熊沢蕃山は「憂きことの猶(なお)この上に積もれかし限りある身の力ためさん」と歌ったが、そんな心境で突き進むしかあるまい。
 幸い、雨の棚経は無事に済んだし、なによりこの原稿を書いている今も、方廣寺から手伝いに来ているタフで大食漢の雲水さんと女房が、本堂や客間の掃除に励んでくれている。
 思えば我々は「それどころじゃない」とは言わない道を生きるのだし、大勢のそんな人々に囲まれているではないか。

2021/08/22 福島民報

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