映画
「禅と骨」とミトワさん
(エッセイ・
2017/9/2 )
私とミトワさんの接触は、さほど多かったわけではない。禅寺では毎月朔日と十五日、「祝聖(しゅくしん)」といってこの国の安泰を祈る儀式を法堂(はっとう)でするのだが、天龍寺の雲水だった私は列の後ろのほうから向かい側に立つミ […]
花散らぬ、嵐
(エッセイ・
2010/4/11 )
四月二日、東京五反田のIMAGICAという映像・音響施設で、映画「アブラクサスの祭」の初号試写会があった。以前そこには、自著の朗読のために行ったことがある。しかし今回は桜が満開だったせいか、少々迷いながら辿り着いた。 […]
まもなくクランク・アップ
(エッセイ・
2009/11/29 )
映画の撮影開始のことを、手回しカメラ時代のハンドル(Crank)にあやかってクランク・インと呼ぶ。今や手回しではなく、記録用のビデオさえデジタルだが、ともあれ映画『アブラクサスの祭』の撮影が始まっている。 それに先だち […]
「手紙」……塀を越えた、血潮の奔流
(エッセイ・
2006/10/31 )
このところ、刑事犯罪を犯した人々の社会復帰が難しい世の中になりつつある。むろん犯人を取り巻く周囲の人々にも、差別を含んだ一段と厳しい眼差しが向けられる。そこでは個人の尊厳などよりも、防犯意識のほうが優先され、今や街のあ […]
尊厳死の奥に深い人生と愛
(エッセイ・
2005/4/14 )
観(み)おわってしばらく、奇妙な高揚感に包まれた。 ある人々に対してこの映画は、尊厳死に関する映画だと紹介することも可能だろう。主人公のラモンは25歳のときに引き潮の海に飛び込み、海底に頭を強打して首から下が不随にな […]
御前さまの御前に
(エッセイ・
2002/7/25 )
寅さんの七回忌に合わせて作られる映画のパンフレット集だというのだから、やはり僧侶も何か書かなくてはなるまい。笠智衆さんも渥美清さんもすでに亡いが、あの二人の関係はじつに面白かった。私としては僧侶仲間である御前さまを憶い […]