四月二日、東京五反田のIMAGICAという映像・音響施設で、映画「アブラクサスの祭」の初号試写会があった。以前そこには、自著の朗読のために行ったことがある。しかし今回は桜が満開だったせいか、少々迷いながら辿り着いた。
初号またはゼロ号試写会というのは、いわばできたての映画を関係者だけに観せる試写会であり、場合によってはそこでの意見で多少の修正をする可能性もある。命名にもそんな意味合いが感じられる。福島県からも民報社の社長さんをはじめ、福島テレビ、大七酒造の社長さん、国見町や三春町の方々等、大勢の皆さんがお越しくださった。
どうやらこの日は、我々が一時間五十三分の映画を観てその後の懇親会を終えて外に出るまで、ずっと嵐が吹き荒れていたらしい。花に嵐はつきものと昔から云うが、それでも桜の花はまだしっかりしていて強い風でも飛ばず、看板が飛び、怪我人が出たというニュースは翌日になって再びたわわな花を見たあとで知った。前夜の私は、外の嵐などまったく気づかないまま、映画の世界とその余韻に浸りきっていたのである。
「アブラクサス」という聞き慣れない神の名前は、神が善なる存在だと定められる以前の、もっとトータルな力そのものに名づけられたものだ。「六道輪廻を突き抜けろ!」という文庫本の帯文は、人間にも同じくそのように複雑怪奇な力がある、という意味で正しい。「個性」などという生やさしい自己限定に身を置くのではなく、キリスト教で云うならラテン定式(善なる神、子、聖霊の三位一体説)に「悪魔」を加えたユングの四位一体説でしか表現できない荒ぶる人間の姿がある。それを私は、アブラクサスの神が降臨するロック・コンサートという形で表現したかったのだが、はたしてそんなことが映画で可能なのかどうか……、私は不安と期待の入り混じる気分で試写室の椅子に坐ったのである。
しかし事前のそんな危惧は、観終えた後には完全に払拭されていた。
美しく、印象的な映像の数々、そして精密に練られた圧倒的な音。私が云うのも奇妙かもしれないが、これは是非大勢の皆さんに観てほしい映画だ。加藤直輝監督の思いが隅々にまで桜の花の体液のように行き亘っている。これはまさに「花散らぬ、嵐」のような映画ではないか。
二次会の会場へ歩きながら、音響を担当してくださった大友良英さんに聞いた話が嬉しかった。「死にそうな犬」を演じてくれた本当に死にそうだった犬が、三月末時点では国見で元気に生きている。直接確かめたらしい大友さんが、嬉しそうにそう語ってくれたのである。どうやら犬君にとっても、映画は「花散らぬ、嵐」だったようだ。
2010/04/11 福島民報