映画の撮影開始のことを、手回しカメラ時代のハンドル(Crank)にあやかってクランク・インと呼ぶ。今や手回しではなく、記録用のビデオさえデジタルだが、ともあれ映画『アブラクサスの祭』の撮影が始まっている。
それに先だち、一般からの出演者を募るオーディションが行なわれたのだが、国見町と三春町の二箇所での応募総数はおよそ七百人。驚いてしまった。
役者さんたちや選ばれた人々も含め、今やどっぷり日程を割いて大勢の人々が撮影に没頭している。スタッフも五十人ほどいるから滞在生活も大変である。しかし国見町に奇特な方がいて、ほぼ新しい一軒家の住宅をスタッフのために無料で開放してくださった。また主な撮影地となる三春や国見では炊き出しボランティアの主婦の皆さんにもご協力いただいている。今や本当に希有な共同体が、この映画撮影のために出現しているのである。
クランク・インの当日には三春の田村高校で撮影があり、私も短時間だが顔を出してみた。体育館での撮影だが、生徒さんたちや先生方にも出演いただき、ほとんど学校ぐるみのご協力と言っていい。
また十九日、二十日は、国見町の龍雲寺さんで法要やお葬式の様子を撮影した。龍雲寺さんは勿論だが、近くにお住まいの定光寺さんの和尚さんには儀式や所作などの指導でお世話になり、じつは僧衣までお借りしている。
僧侶役のスネオヘアーさんや小林薫さんは、すでに夏のうちから東京谷中の全生庵で住職さんから所作指導を受けている。スネオヘアーさんの断髪式も、全生庵でしていただいた。住職の平井さんには本当にお世話になった。
べつに撮影の進行が一々私に知らされるわけではないから、私の知らないところでも大勢の人々にお世話になっているはずである。いや、世話になるという一方的な関係ではなく、たぶんお世話するほうも楽しんでくださっているのだと思う。
そうした関係にも後押しされ、特に主演のスネオヘアー氏はどんどん僧侶になりきっているというから楽しみだ。
私が密室で書き、加藤直輝監督が独り繰り返し読んだ本が、今やオフィス・シロウズのプロデュースと監督の指揮によって大がかりな祭に育っている。まさに『アブラクサスの祭』である。
この文章が掲載される頃はそろそろクランク・アップも間近。最後は龍雲寺境内でのスネオヘアー・コンサートになる。彼はこの映画のために新曲をつくってくれた。監督が「いい曲ですよ」と太鼓判を押すその曲を、私も聴くのが楽しみだ。
できることなら野外撮影のその日は、小春日和になってほしいものだ。
2009/11/29 福島民報