日曜論壇
仮設トイレでの快哉
(エッセイ・
2019/2/17 )
シナイ半島への陸自派遣が決まった。二回目の米朝首脳会談も決まり、日ロの領土交渉も大詰めに向かいつつある。世の中を見まわすと息苦しい出来事に満ち、また私も原稿の〆切が間近に迫っていたのだが、二月十日のお寺ではそれどころで […]
12月8日
(エッセイ・
2018/12/16 )
12月8日といえば、我々禅僧にとっては特別な日だ。お釈迦(しゃか)さまが今からおよそ2500年前、12月8日の明けの明星を見て大いなる覚醒を得たという。その覚醒を追体験しようと、あちこちの道場では7日間、ほぼ不眠不休と […]
まだ高い薬価と「偽増悪」
(エッセイ・
2018/10/14 )
十月一日、今年のノーベル生理学・医学賞に、本庶佑(ほんじょたすく)先生の受賞が決まった。先生の最大の功績は、おそらく「がん免疫療法」に道を拓(ひら)いたことだと思うが、これはじつに画期的なことである。 がんといえば、 […]
無茶
(エッセイ・
2018/8/12 )
筋道が立たないこと、道理に合わないことを昔から「無茶」という。誰もが何度も口にした言葉だと思うが、「無茶」はどうして「無茶」と書くのだろう? 小学館の『日本国語大辞典』によると、「無茶」はあて字、「無茶苦茶」もあて字だ […]
「たまきはる福島基金」の今
(エッセイ・
2018/6/10 )
先日、「たまきはる福島基金」の理事会兼総会を郡山で開催した。今年で七年目に入る同基金の活動などを紹介したい。 もともとこの活動は、東日本大震災による甚大な被害を受けた市町村の、子供や若者たちを後押しするような活動を支 […]
福島民報「日曜論壇」にエッセイ「愛姫生誕四百五十年」掲載
(おしらせ・
2018/4/8 )
2018年4月8日の福島民報「日曜論壇」にエッセイ「愛姫生誕四百五十年」が掲載されます。 【追記】 本文を転載しました。下記リンクよりご覧ください。 […]
愛姫生誕四百五十年
(エッセイ・
2018/4/8 )
お寺ではあまり生誕何年というお祝いはしないのだが、今年は永禄十一(一五六八)年に生まれた愛(めご)姫(ひめ)の誕生から四百五十年めになる。福聚寺の開基田村家のご息女であるわけだし、年忌ではないが無視するわけにもいくまい […]
聖「冬のポンプ屋さん」
(エッセイ・
2018/2/4 )
職業に貴賤(きせん)はないし、どの仕事もそれなりに大変なのはむろん承知している。海幸彦山幸彦の話を持ちだすまでもなく、どだい比べようがないのだし、かの福沢諭吉先生も他人の職業を羨(うらや)むことは世の中で最も下品なこと […]
民主主義の赤字
(エッセイ・
2017/12/3 )
今朝もまた、ミサイルが飛んだらしい(十一月二十九日)。午前四時まえのことで、全国瞬時警報(Jアラート)も鳴らなかったから、知らない人も多いようだ。 青森県の漁師さんたちは相当緊張しただろうが、殆んどは「え? そうなの […]
山繭さま
(エッセイ・
2017/10/1 )
この夏、女房が伊達市の「霊山こどもの村」で、繭(まゆ)を使ったワークショップを行なった。繭から純白の糸をほぐし、それを自分なりに膨らませた風船にもう1度巻きつけ、乾いたら風船を割る。すると自分だけの形の繭ができあがると […]
「言った」「言わない」
(エッセイ・
2017/7/30 )
結婚して数年の頃か、「言った」「言わない」という論争ほど無益なものはないと悟り、記憶を頼りに正しさを主張するのはやめにした。どちらかの記憶が間違っていることもあるが、人の記憶はもともと曖昧なものだし、時と共に変質もする […]
危うい優生思想
(エッセイ・
2017/5/28 )
デザインベビーという言葉が使われるようになって久しい。アメリカではノーベル賞受賞者の精子を高く買い、美人でグラマラスな女性の卵と受精させる、というのもあながち冗談ではないらしい。 神への冒涜、あるいは自然への挑戦と言 […]