中国と日本の関係は特別である。大まかに言えば、十五、六世紀までの日本は、中国からさまざまな文化・文物を取り入れ、独自のアレンジを加えながら日本化してきた。文字はその代表的なもので、仮名というアレンジ作品は産みだしたものの、多くの漢字はそのまま使わせていただいた。漢字について中国が本家筋なのは間違いない。
なかには「畑」や「峠」など、日本で造られた国字もあるが、「桂」や「椿」、「櫻」などのように、中国で発明された文字を元々の木とは別な木に勝手に使ってしまったものもある。本来「桂」は金木犀、「椿」はちゃんちんと呼ばれるセンダン科の木、「櫻(桜)」はゆすらうめのことなのだが、当時の日本にはその木がなかったのだろう。ええい、ままよと別な木に当てはめてしまったのである。
本家とすれば、分家の勝手な振る舞いに腹を立てることもあったに違いない。しかし日本という国は、いろんなものを温存できる国柄であるため、すでに中国にはなくなったものがそのまま保たれることも多く、中国としても時に興味深く参照してきたはずである。
仏教でも、真言宗は今や日本にしかないし、抹茶という宋代に流行したお茶も日本だけで継承発展させてきた。唐詩の発音については、吉川幸次郎先生に習いに来る中国の学生も昔は多かった。要するにこの国では、たとえ戦争を経て王朝が代わったとしても、中国のような前代の文化への破壊行為がさほど起こらなかった。だから文化が永く温存され、アレンジが加わりながら熟成されていったのだろう。
野山に溶け込むようにあちこちに咲く梅の花や食卓の梅干しを眺めていると、もはやこれが中国から来た花木とは思えない。お茶も枇杷も桃も、元々は僧侶たちが中国から将来したのだが、すっかりこの国の風土に溶け込んでいるように思える。しかしだからといって、それらの木が日本原産と謳えないのは当然のことだ。
元号という制度も中国で始まったものだが、清王朝が倒れたのを機に彼の国では消滅した。それだけに、今回の日本の改元には中国の人々も相当熱い視線を注いでいた。ネット上には、「令和」の出典は『文選(もんぜん)』の「仲春令月、時和気清」だとする見解も飛び交う。ちなみに『万葉集』のほうは「初春令月、気淑風和」だが、私はこれを視て、ああ、やはり来たかと思った。
元号を平仮名にするというならともかく、漢字二文字の組合せで出典は国書だと主張しても、その漢文は『文選』などから必死に学んだものであることは間違いない。『万葉集』が典拠なのは嬉しいし、「令和」の「令」も「ご令室」などの佳いイメージに近づけたいと思うが、そのまえに無駄な論争を避けるため、漢字の本家には「使わせてもらってます」とか、愛嬌を示してみてはどうだろう。(借りてると言うと借字料を請求されるかもしれないので要注意)なにせ昭和には叶わなかった「和」を、令和でもう一度やり直そうというのだから。
2019/04/14 福島民報