職業に貴賤(きせん)はないし、どの仕事もそれなりに大変なのはむろん承知している。海幸彦山幸彦の話を持ちだすまでもなく、どだい比べようがないのだし、かの福沢諭吉先生も他人の職業を羨(うらや)むことは世の中で最も下品なことだと断じている。
ただ、羨むのは下品かもしれないが、正直なところ時に私は「ああ、この仕事でなくてよかった」と思うことはある。たとえば夜中の往診も厭(いと)わないお医者さん、客のクレームに謝りつづける旅館の女将(おかみ)さん、殉死した警察官の話などに接すると、ああ、なんて大変な仕事かと思うし、葬儀が連続する坊さんなど、序の口じゃないかとも思う。
予定が立てられない、というより、立てた予定も突発的な出来事で押し流される、という点は、いま挙げたどの仕事にも共通する難儀さかもしれない。
私の場合は僧侶としての仕事のほかに、原稿の締め切りや講演予定などにも束縛されるが、そんなことはおかまいなしに葬儀は起こる。だから常に、講演の相当まえからある程度の予習はしておくし、原稿も締め切りまえに書き上げる。
そんな綱渡りの日常なのだが、それでも檀家(だんか)さんが亡くなった翌日が葬儀というわけじゃないのがありがたい。2、3日のうちの変更可能な予定は変えてもらうなど「やりくり」を重ね、葬儀のための準備や当日の時間をなんとか確保していくのである。
以前から感じていたことだが、ポンプ屋さんにはその点、猶予期間がない。
今年の冬は特に寒いし、うちの場合は庫裡(くり)の改修工事中のため仮設の設備が多く、トイレの水が凍って出なかったり風呂場のシャワーが出ないといった事態が多発した。そんなとき、「2、3日のうちに行きます」では話にならない。出入りのポンプ屋さんは常に「すぐ参ります」と対応して助けてくれ、時には凍った地面を掘り返して水道管を繋(つな)ぎ直してもくれたのである。
北国の冬場は特に水回りのトラブルが多い。シャワーのホース内が凍ったときは温度調節の抓(つま)みも動かなくなり、無理に動かしたら脇から水が吹き出てきた。おそらくポンプ屋さんの家も夕飯どきだったと思うのだが、この時も「即」来てくれた。
年末年始も休めるかどうかは「運」だという。お寺の場合は決まった行事があるため、年末に亡くなっても葬儀は正月行事明けまで待っていただくしかないが、この「待っていただく」ことがポンプ屋さんはできない。元旦の雑煮もそこそこにトイレの修理に向かうことだってあるだろう。現場は常に冷たい場所である。そう考えると、これほど「無私」で「即対応」が求められる過酷な仕事があるだろうか。
むろん報酬は得るわけだが、ああ、ポンプ屋さんじゃなくてよかった、と思うし、逆に最もありがたい「聖なる」仕事とも思えてくるのである。
2018/02/04 福島民報