12月8日といえば、我々禅僧にとっては特別な日だ。お釈迦(しゃか)さまが今からおよそ2500年前、12月8日の明けの明星を見て大いなる覚醒を得たという。その覚醒を追体験しようと、あちこちの道場では7日間、ほぼ不眠不休とも云(い)える坐禅に明け暮れる。3、4日は睡眠不足と疲労が積み重なり、幻覚なども体験するのだが、5日目くらいからは不思議に眠気(ねむけ)を感じなくなる。お釈迦さまと同じような覚醒が得られるかどうかはともかく、よくもこんな無茶なことをやり終えたものだと、私は道場である種の高揚を感じたものだった。自分を見くびってはいけないと、毎年この日には思ってきたような気がする。
8日は各地の禅寺で、「成(じょう)道(どう)会(え)」と呼ばれる儀式が行われる。僧侶だけでなく檀信徒も集まり、大抵は釈迦出山図(あるいは出山釈迦図)という軸物を掛けてお経を唱え、蓬髪(ほうはつ)で倒れそうなお釈迦さまの姿に御焼香してその御労苦を偲(しの)ぶのである。
そんな12月8日に、しかも同じ未明に、あのことも起こった。あのことと云えば、一定以上の年齢の方々はむろん「真珠湾攻撃」を憶(おも)いだすことだろう。そう、世間的には、たぶん12月8日は1941年の太平洋戦争開戦記念日としてのほうがよく知られている。
仏教を奉じる者とすれば、なにゆえこんな日にと、どうしても思ってしまう。日本時間では8日の午前3時19分、だから道場では大勢の修行者たちが最後の禅定に入っていた頃である。あるいは道場によっては雲水が老師の部屋に入室し、一人ずつ心境の深まりを披瀝(ひれき)していた頃かもしれない。
今年も、真珠湾攻撃から77年を迎えたハワイでは、真珠湾に面した公園で恒例の追悼式典が開かれた。式典には真珠湾攻撃の生存者40人を含め、米退役軍人や日米関係者2500人が出席したという。米インド太平洋軍のデーヴィッド司令官はそこで「われわれは大きな犠牲を払ったが、平和を勝ち取った」と挨拶(あいさつ)し、太平洋とインド洋の安寧のため日本との協調を訴えたらしい。
なるほど、やがてこの日が、戦略を離れて平和を祈る日になるのならば、お釈迦さまの成道とも矛盾しないかもしれない。
毎年この日はそんな複雑な思いに捉えられるのだが、今年は新たな出来事が起こった。数日前から境内で井戸のためのボーリングを進めており、40メートルでは毎分20リットルだった水量が、71.5メートルまで進むと毎分約60リットルも湧き出したのである。
今後、12月8日は、あらゆる命の尊さに目覚めたお釈迦さまを思い起こし、また非戦の誓いを生活の中でも新たにし、そして地球というこの素晴らしい環境にも感謝する日にしよう。
境内の地下の岩盤の間から、水が豊かに湧きでたことはむちゃくちゃ嬉(うれ)しい。湧きでる水を眺めながら、私は雨水がかくも浄化されるまでの遙(はる)かな時間を想(おも)う。77年では恐らくまだ足りない。
2018/12/16 福島民報