墨
修行の階梯
(エッセイ・
2022/11/1 )
「十牛図」 陶山雅純摸 原本:狩野探幽筆 江戸時代 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 「天真を養う」という言葉は不思議である。天真は以て生まれた命そのもの […]
『墨』2022年11・12月号(279号)にエッセイ2本と訳文掲載
(おしらせ・
2022/11/1 )
2022年11月1日発売の『墨』2022年11・12月号(279号)に 特集「心ととのえる書」 エッセイ「そこに自由はあるんか?」 特集「心ととのえる書」 般若心経のページに玄侑の『現代語訳 般若心経』からの訳文 連載中 […]
そこに自由はあるんか?
(エッセイ・
2022/11/1 )
「心ととのえる書」という特集名を見て、私はあらためて「心ととのえる」とはどういうことだったかと、考えてしまった。 私が属する臨済宗妙心寺派では、生活信条として次のような言葉を掲げている。「一日一度は静かに坐って、身( […]
撥草参玄
(エッセイ・
2022/9/1 )
「撥草」 沢庵宗彭 紙本墨書 一幅 32 x 57 ふくやま書道美術館蔵 「撥草」は「バチクサ」と読めばペンペン草のこと。実の形が三味線のバチ(撥)に似ているため「なずな」をそう呼ぶのだが、ここでは無論そうではなく、『 […]
心おのずから凉し
(エッセイ・
2022/7/1 )
唐の文宗はある夏の日に学士たちと聯句を楽しみ、まず発句を詠んだ。「人皆な炎熱に苦しむも、我は愛す夏日の長きことを」。柳公権が続けた。「薫風南より来り、殿閣微凉を生ず」。他の学士も句を続けたのだが文宗はいたくこの句が気に […]
其の心
(エッセイ・
2022/4/30 )
「應無所住而生其心」 慈雲尊者「金剛経」(臨済録・金剛経・碧巌録之句 三幅のうち一幅) 紙本墨書 京都・地福寺藏 人間はあれこれ考えないではいられない存在だが、この「考え中」ほど困った状態はない。禅では「分別」「妄想」 […]
心力を労せず
(エッセイ・
2022/3/1 )
一行書「不労心力」 夢窓疎石 紙本墨書 一幅 南北朝時代 東京国立博物館藏 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 『臨済録』に次のような説示がある。「心法は形無くして十方に通貫 […]
隻手
(エッセイ・
2022/1/24 )
臨済禅の道場に入門すると、まず老師から初関と言われる公案をいただく。初関とは最初の関所。これにより、禅僧としての威儀や作法だけでなく、心の在り方も習得させようというのだ。 私は「狗子仏性(くしぶっしょう)(趙州(じょ […]
竹林の風
(エッセイ・
2021/11/8 )
沢庵宗彭「竹画讃」 福聚寺蔵 西洋の人々が東洋に憧れるとき、そこに意外なほど竹という植物が介在していることに気づく。茶筅や竹刀(しない)、筆や弓矢にも竹は欠かせないが、むろん竹林という環境もインドには竹林精舎を生みだし […]
放心を具えよ
(エッセイ・
2021/9/1 )
宮本武蔵「枯木鳴鵙図」出典:和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム 前回は意識を臍下に集め、身心の安定を図る白隠禅師の「内観の秘法」を紹介した。意識をどこかに集めることは、「求心」と謂い、禅定(あるいは三昧)へ向か […]
内観の秘法
(エッセイ・
2021/7/1 )
前回に続き、白隠禅師の独自の教えに学びたい。禅師は八十四歳の天寿を全うしたが、生涯を通して頑健だったわけではない。二十六歳の頃「禅病」に罹り、「名医を探ると云へども百薬寸効なし」という状態に陥った。症状としては「心火逆 […]
呼吸と脱力
(エッセイ・
2021/5/1 )
白隠「楊柳観音図」 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 命を養う上で、最も重要なのは呼吸だろうと思う。普段は自律神経が勝手に制御してくれるから意識しない人も多いが、意識すれば […]