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天真を養う 第10回

心おのずから凉し

 唐の文宗はある夏の日に学士たちと聯句を楽しみ、まず発句を詠んだ。「人皆な炎熱に苦しむも、我は愛す夏日の長きことを」。柳公権が続けた。「薫風南より来り、殿閣微凉を生ず」。他の学士も句を続けたのだが文宗はいたくこの句が気に入り、口ずさむだけでなく壁に大きく墨書させた。
 公案禅の大成者たる大慧宗杲(そうこう)は、後世この柳公権の句を見て大悟したとされるが、それ以前に宋の蘇東坡(そとうば)はこの聯句全体に文句をつけていた。陋屋に住む庶民の暮らし、また炎天下での彼らの労働を思い遣らない為政者たちを、腹に据えかねたのだろう。文宗の句に続ける形で以下のように詠んだ。「一たび居を移されれば苦楽永く相忘る、願わくは言わん此の施しを均(ひと)しくして清陰を四方に分かたんことを」(皇帝陛下は立派なお屋敷にお住まいだから庶民の苦楽をすっかりお忘れなのです。どうか四方の人々に均しくこの薫風と微凉とを分け与えてください)。
 時を超えた彼らのやりとりを踏まえ、一山国師はここに提示した七言の偈頌をすらりと書いた。まるで抗議する蘇東坡居士(こじ)を宥(なだ)めるようである。
「殿閣 薫風 日正に長く」(立派な建物に薫風が吹いていま夏の日は長い)
「緑槐紅藕(りょくかいこうぐう) 林塘に遍(あまね)し」(槐(えんじゅ)の葉は濃い緑で、池には紅い藕(はす)がたくさん咲いている)これはいわば文宗皇帝と柳公権の描いた殿閣での心地よい微凉の世界である。一山国師はいまの自分もそういう状況にあるのだと言い、その上で禅における寒暑の本質を示そうとする。
「言う莫れ 人世 炎蒸(えんじょう)甚(はなはだ)しと」。蘇東坡殿は人々が蒸し暑くて苦しんでいると仰るが、そうとばかりは言えませんぞ。
「馳求(ちぐ)するを歇(や)め得れば心自ずから凉し」問題は心で、凉を求める心が歇めば自ずから凉しくなるはず。暑い凉しいは心次第でしょう。
 『洞山録』の問答を憶いだす。「暑さ寒さはどう回避すればいいのか」と問う僧に、洞山は「暑さ寒さのない処へ行けばいい」と突慳貪に答える。「それはどこにありますか」と重ねて問うと、「寒時には闍梨を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺す(そなた自身が暑さ寒さに浸りきるのみじゃろう)」と答えたのである。
 思えば『臨済録』でも、しばしば馳求する心が窘(たしな)められ、「求心(ぐしん)歇む処、即ち無事」という。求めなければ得られない。それは確かだが、求めていることさえ忘れなければ本当には得られないものがある。凉しさと清らかさはその代表だろう。懸命に求めることはそれ自体が蒸し暑く、清らかであろうとすること自体が清らかでないのだ。
 それにしても、一山一寧禅師の書はじつに凉しげである。これは元の間諜としての嫌疑が解かれ、円覚寺に住した時代の偈頌だが、凉しげすぎて判別しにくい文字もある。タイトルの「園林○暑」の「○」が「消」なのか「清」なのかも謎で、この書を所有する五島美術館では「消」と写し、語録には「清」とある。考えていると暑くなってくるのでご覧の諸賢にお任せしたい。


「園林消暑」偈
一山一寧
紙本墨跡 一幅 鎌倉時代
29.9 × 60.3
五島美術館蔵
画像は『墨 2022年7・8月号(277号)』または五島美術館のサイトをご覧ください。

2022/07/01 墨 2022年7・8月号(277号)(芸術新聞社)

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