「撥草」
沢庵宗彭
紙本墨書 一幅
32 x 57
ふくやま書道美術館蔵
「撥草」は「バチクサ」と読めばペンペン草のこと。実の形が三味線のバチ(撥)に似ているため「なずな」をそう呼ぶのだが、ここでは無論そうではなく、『無門関』第四十七則の「撥草参玄(はっそうさんげん)」に依っている。要は見性するため、草を撥(は)ねあげてどこまでも行脚する心意気を、「撥草」の二字だけで示したのだ。
修行者のことを雲水とも言うが、これも「行雲流水」に由来し、一所定めず、守るべきものもなく、ただ師を求めて行脚する自由な姿を行く雲や流れる水に喩えたのだろう。
撥ねあがる草といい、雲や水といい、行脚というものに漂うこの清々しい空気はどうしたわけだろう。沢庵の書にもそんな空気が漂うが、行商人や単なる旅人と何が違うというのだろう。
臨済宗の寺は行脚僧が訪ねてくると「房舎施(ぼうしゃせ)」として一夜の宿を提供する。私が高校生の頃、一人の雲水が訪ねてきた。その人は父に許されて本堂でお経をあげ、それから境内の草引きなどを手伝っていたが、七月の暑い日で、私は彼の寝床を延べ、蚊取り線香などを準備した覚えがある。背が高く痩せたその人は、開浴のあとで父に勧められてビールを一杯飲み、驚くほど真っ赤になった。更に驚いたのは夕食後、彼は立ち上がって荷物から白い紙筒を取りだし、赤い顔のままその筒を吹きだしたのである。指穴もないのっぺりした紙筒なのに、メロディアスで不思議な音が周囲の夜の闇に沁みていった。呼吸法の鍛錬のため、自分で創ったその笛を常に持ち歩いているとのこと。私はどこか底抜けな、熱と涼風とを感じていた。
後年、その人に再会することがあって判明したのだが、彼は『華厳経』の善財童子を真似ていたらしい。つまり自分が師と仰ぐ人を最初に訪ね、その人から薦められた人を次ぎに訪ねる。二番目の人にも三番目に会うべき人を紹介してもらい、あとはリレーのように薦められた人に逢っていくのである。師が薦める人なのだから、全て師である。そのことだけは揺るぎなく信じ、とにかく自分が学ぶべき点をどの師からも必ず見出すのである。
行脚とはおそらくそういうものなのだろう。自分勝手に品定めするのではなく、相手を師と決め込み、学び続ける旅なのだ。
あらためて沢庵和尚の簡明な書を見ると、記名が真ん中にあるのも面白い。しかも「澤庵野老」だ。草に紛れて多くの師が野にいる。自分もその一人だし、まだそこに忌憚なく出向くつもりもあるのだろう。
コロナ禍で直接対面が避けられる今、我々はどれほどの出逢いを喪失しているだろう。「参玄」の「玄」は、支遁(しとん)の『即色遊玄論』に云う「空」の真理と思っていいが、「参」はあくまでも直接の出逢い、いわば行脚の末の気の交流である。リモートでは相手の熱も風も伝わらない。
2022/09/01 墨 2022年9・10月号(278号)(芸術新聞社)