日本人の日本人らしさとは何なのかと、たまに考えることがある。昔の答えは「布団の上げ下ろし」と「正坐」だった。オンドルに布団を敷いたままの韓国人と、北宋の時代からベッドを使った中国人に対し、日本人はつい最近まで布団を上げた部屋を次は食堂に使い、やがて勉強部屋にしたあと寝室にするなど、ウサギ小屋を何度もリセットして別用途に使った。やや風流に言えば慈鎮和尚の歌の如く、「引き寄せて結べば草の庵にて解くれば元の野原なりけり」となる。
もう一つの正坐も、じつは元の野原のようなもの。前の行動と次の行動の間の待機型とも見えながら、そのまま禅定に入っていくこともできる。何よりあらゆる伝統芸能や茶道、花道、香道、書道も、すべて正坐を前提にした「道」と云えるだろう。
正坐の発祥については日本説だけでなく、中国唐代の長安だとの説もあり、また紀元前にまとめられた『荘子』には琴を弾くときの坐法として「匡坐(きょうざ)」が出てくる。これはおそらく正坐と同じか近似した坐法だろう。しかしいずれにせよ日本ほど正坐が流布した国はない。畳とお茶の流行と共に、それは日本人独特の坐法になったと言っても間違いではあるまい。
正坐になると、腹式呼吸になりやすく、従って副交感神経優位にもなりやすい。正坐こそが、日本人の寛大さと、逆に几帳面さも同時に産みだしたのではないか。しかしこの坐法、じつは両脚の踵(かかと)の間にお尻を載せるため、両方の踵が開くように坐る訓練を五歳くらいまでには完了させなければならない。子孫にも日本人であってほしければ、正坐だけは是非とも骨格が固定するまでに体得させてほしいものである。
今回は白隠さんの「布袋坐禅図」だが、坐禅は明らかに正坐よりもリセット力が強い。正坐のように「ながら」何かをするわけにはいかないからだ。いつも街頭で救済に駈けまわる布袋和尚だが、パワーの源は坐禅である。求めに応じていつでも立てる正坐と違い、坐禅はしばし立つ気がないからこそ結跏趺坐する。正坐は長時間に及べば血流が遮られて痺(しび)れるが、坐禅は痛くとも痺れはしないから、いつまでも沈潜していられるのだ。
「お坊けふは奇特に坐禅に出かけてじゃの」。「~に出かける」は「begin to ~」。布袋和尚、今日は感心に坐禅でもしようってんだな」との声に、布袋の答えは「おふよ」と素っ気ない。常に救済行動を心がける布袋和尚だからこそ、それは大切な時間なのである。
もはや布団の上げ下ろしをしなくなった日本人にとって、リセットは「坐」に期待するしかない。そうしてリセットして「一から出直す」わけだが、それは天真としての「元の野原」「元のその一」を信じているからである。
「布袋坐禅図」
白隠慧鶴
江戸時代中期(18世紀)
一幅
永青文庫蔵
(画像は『墨 2023年3・4月号 281号』でご覧ください)
2023/03/01 墨 2023年3・4月号 281号(芸術新聞社)